2016年07月12日

永六輔さんのこと

 7日に永六輔さんが亡くなったと昨日報じられた。私は高校受験のときからTBSラジオでパックインミュージックを聴き、土曜の深夜に永六輔さんがテンポよくしゃべり、中川久美さんがしっとりと受ける絶妙で心地よい時間を楽しみにしていた。当時は、ニッポン放送のオールナイトニッポン、文化放送のセイヤングとこのTBSのパックインミュージックで若者向けの「深夜放送」が人気を分け、新しいラジオ文化の全盛期だったころだ。投書して読まれ、受験のお守りとサイン入りの自著をもらったこともある。同じTBSラジオで永さんがパーソナリティの「土曜ワイド」や「誰かとどこかで」などかなり聴いていたと思う。
 永さんを通じて、いろいろな職業や立場の有名無名の人々の生きざまを知ることになった。一番思い出深いのは、1974年に武道館で開催された「中年御三家」と称したコンサートがあり、バイトで稼いだ金で見に行ったのだった。永六輔、小沢昭一、野坂昭如、そして司会は愛川欽也という錚々たるメンバーだが、永さんが逝って、全員が鬼籍に入ることになった。中年御三家はともに戦後を力強く生き、それぞれの立場での反戦と反権力という共通点があり、共感したものだった。
 永さんは作詞家としても知られているが、中村八大といずみたくの二人の名作曲家に詩を提供したことで、葛藤し、作詞をやめてしまったことを知った。今日、慌ててブックオフで「大往生」を買ってきて読んでそれを知った。新品の本ではなく申し訳ないが、ありがたく読ませてもらった(笑)。もし、作詞を続けていたら、人の心を打つ詩をもっとたくさん残してくれたかもしれない。しかし、そうはしなかったのも江戸っ子らしい潔さかもしれない。
 その「大往生」の中で次の一節がある。医師の山崎章郎氏との対談の中で・・・
 「ぼくにとっての理想の死に方というのは、家族に囲まれて死ぬことですね。自分が死んだとき、よかった、よかったと拍手が起きて(笑)、もちろん泣かれてもいいんだけれど、だれも恨みも怒りもなくて、「こうして死ねてよかったね」という言葉が死後の世界のぼくの耳にも聞こえてくるような、そんな死の環境があればいいな、と思うんです」(「大往生」永六輔著:岩波書店より)
 多分、永さんはそんな理想の亡くなり方をしたのではないかと想像している。何はともあれ、大往生、めでたし、としよう。合掌。(EOS 5D3)

永六輔、私の人生のさまざまなスタートの原点にあなたがいたようだ

戦争を 語るべき人 また逝きし