2017年01月07日

松の内

 関東では今日7日までが正月の松の内で、正月飾り、松飾りを取り外すことでしょう。11日には鏡開きで鏡餅を割ってお汁粉を食べ、15日にはどんど焼きで正月飾りなどを焚きあげるのが一般的だったはずです。私が子どものころの実家地域では、どんど焼きを「だんご焼き」といって、田んぼ道でお札やだるまなどをいっしょに焼きます。そして、生木の枝先が三つに分かれているのを切り出してきて、ご飯を練って団子状にしたものを突き刺して、焼くのです。それを家に持って帰って砂糖としょう油をつけて食べるのですが、おいしくはありません。無病息災など意味はあるのでしょうが、風習としてやっていたようです。遠い昔話みたいな世界ですね、今となっては。ちょっと古い話がこのところ続きますが(笑)。
 大和市泉の森にある古民家園には、家の入り口に正月飾りが今日まで飾ってあります。神棚なども新しい御幣が付け替えてあり、新年らしい雰囲気になっていました。会社などは4日から仕事始めで、すでにフル稼働のことでしょうから、お正月気分はとっくに消えてしまったのでしょうね。昔は仕事始めには、女性たちは着物を着て出勤していた時代があり、さらに昔には職場で一杯やっていた、なんて話もありました。高度成長時代とはいえ、まだまだのんびりした時代だったのです。この時代のサラリーマンは、機械化やコンピュータ化が進んだ社会では人間のやる仕事は減って、もっと自分の時間が増えるという夢がありましたが、とんでもない幻想でしたね。IotやAIなどさらなる高度情報化社会になり、人は機械に弄ばれ、より多くの仕事をさせられるようになってしまい、ギリギリかそれ以上のところまで追い立てられています。
 今の時代は、他国の出来事がリアルタイムで伝わってきて、テレビやインターネットを介して目の当たりにすることができ、また、常にSNSで誰かとつながっている気分になれる便利な世界になりました。それらの進化は加速度を増し、一見豊かな暮らしになっていますが、そこに本当の心の満足感、幸福感がないのも事実ではないでしょうか。元ウルグアイ大統領のムヒカさんの言葉が印象的でした。「貧乏とは少ししか持っていないことではなく、限りなく多くを必要とし、もっともっと欲しがることである。」
 真の豊かさとは何かという価値観への問いに対して、昨年から世界の指導者たちは、自分の国、自分の会社、自分の家族、自分だけが多くを持っていれば幸せになれるのだ、という最悪の落第点の回答を出してしまいました。それを今年はさらに強めていくことになりそうです。その最悪の歯車はどんどんと回転を速めていく気がしてなりません。そこに何とも言えない違和感を覚える人も多いと思います。今年はこの感覚を大事にし、「違和感」に敏感になりたいと思います。(EOS 5D3)

大和市泉の森古民家園
稲わらを使った正月飾りが凛として美しい

冬の午後は、陽ざしがあってもじっとしていると寒くなる

古時計に新しい御幣の神棚

センダンの白い実がまだ残っていた
ヒヨドリたちが代わる代わるやってくる

おっと、くわえて飛んだ

松の内 もらった餅も 食べきれず