2018年08月09日

立秋過ぎの蝉

 台風13号が関東をかすめて風雨をもたらしたが、大きな被害はなかったのは幸いだった。雨が上がり、雲が切れていった午後の神奈川県央地区は晴れて蒸し暑かった。暦の上では7日に立秋となり、秋となっているが、実感は全くない。体がなまってきているので、カメラを持つことにした。
 大和市の厚木基地に隣接する「遊びの森」近くの桜の森に蝉を撮影しに行った。「セミ撮り」だ。私の耳は意識すると常に耳鳴りがし、蝉の声に似た音が耳の奥で鳴っている。やや難聴でもあり、遠くに蝉の声がするときには、蝉なのか耳鳴りなのかがわからない。しかし、桜の森にはミンミンゼミとアブラゼミが無数にいて、大合唱となっていて、こういうときは、耳鳴りが気にならず、ただただうるさいだけである。蒸し暑さであまり動き回るのも億劫で短い時間で適当に撮ってしまった。やはり、暑いばかりの夏は撮影には向かないのかもしれない。いや、もう少し体力、筋力を鍛え、夏らしいショットを決めてみたいものだ。(EOS 5D3)

 相変わらず、マスコミ、特にテレビというものは、レベルの低い「みんなで叩けば怖くない」方式の報道が跋扈している。このところの日本ボクシング連盟の会長を巡る報道は強面のヤクザまがいの人物にみんなで寄って集って、こわごわとマイクを向ける様が滑稽であったし、結局何を問題としたかったかがわからないままだった。「紀州のドンファン」はどうなったのだ?若い妻への疑いはどうなったのか?モリ・カケの追求はどうなの?結局は、その場その場の興味本位の視聴率稼ぎの各局が取り上げる「安全なネタ」の範囲をキャスターとかコメンテーターとか称するタレント芸能人が無責任な発言をしては、ほとぼりが冷めたり、見当違いだと察すると引いてしまう下らない「報道番組」が多い。独自取材で、日本に存在する根本的な悪を追求する番組など何ひとつありはしない。
 新聞も右も左もそれぞれに都合のいい主張しかしていない。マスメディアがネット社会の中でどう役割を果たし、多様で示唆に富んだ言論を繰り広げていくかが問われている。日本には、皇室タブーなどもあり、言論の自由・表現の自由がまだまだ根付いていない未開発国の体のようだ。

ミンミンゼミだ
蝉をまじまじと見ればグロテスクだが、翅は美しい

脱け殻、漢字一文字で「蛻」と書く
実感がこもっている漢字だ
「兌」には「抜け出る」「つくり替える」の意味がある

ミンミンゼミは鳴くときに腹から尾にかけ、上下に振動させ、力いっぱいに鳴く
短い期間の成虫の命を全うしようとしてる

ここではアブラゼミの方が少なかった
翅の色が若々しい
台風一過を見計らって羽化したのだろう

がんばって生きてほしい

なぜか同じ枝や葉で羽化する蝉が多いようだ

すぐ目の前は厚木基地だ
沖縄の翁長雄志知事が亡くなった
純粋に沖縄県民を思い、政府に対し、一貫として対決姿勢を通した勇気ある政治家だった
純粋になりきれない人間には光り輝く存在だった

秋蝉に 耳をふさぎて 汗落ちる