◆2021.3.11


10年後の空
 
 今日は3月11日だ。ほとんどの日本人はこの日付を忘れることはできない。もう10年が経過したのか、まだ10年しか経過していないのか。東日本大震災から今日で10年が経った。神奈川に住む私たちには大きな被害は発生しなかったが、それでも携帯電話の緊急地震速報を知らせる警報音が連日頻繁に鳴り響いたときは緊張が走った。幾度もの余震で船酔いのような気分にもなった。実際に、大津波により愛する家族や友を失った多くの東北の人たちにとっては、10年という歳月は何の癒しにも慰めにもならないかもしれない。福島第一原発事故も地震と津波による想定外のこととはいえ、この土地を去らざる得なかった人々にとっては震災の災厄は何も終わらず、永遠に続くのだ。廃炉作業があと30年かかろうとも、汚染された土壌のこの土地には二度と住むことはできない。コロナ禍で規模を縮小せざるを得なかった政府主催による震災の追悼式も10年の節目の今回で打ち切りとなる。何か、もやもやとしたものが鬱積していく。この国の指導者たちは何を一番に考えて仕事をしているのだろう。国民の命や生活を守ると口先では何度も言うが、それを実感できる国民がどれほどいるというのか。被災者の生活と心の苦しみはまだまだ続くのだろうと感じる日々だ。10年という歳月は私たちに何をもたらしたのか。共有し、実感できる情報も感情も薄れてきたのが現実だとしたら、何度でも繰り返して記憶にも心にも刻みつける努力を怠ってはならないのだろう。それは私たち個人はもちろんのこと、政府、政治家たちが必ず具体的なかたちで示さなければいけない。
 今日の午後2時46分の自宅からの空を撮った。10年前の空がどんなだったかもう記憶にはない。家にひとりいて、激しい揺れの中で「いよいよその時が来てしまった」と直感した。これまで経験したことのない揺れではあったが、我が家には被害はなかった。買い物して帰宅途中だった妻は、地震の揺れが目まいだと思ってその場に座り込んでしまったという。しかし、互いに無事であった。あの日の空ももしかしたら、今日のような晴れだったのかもしれない。(SONY a7R3)

ベランダから今日の午後2時46分の空を撮った
薄く霞がかかるも雲ひとつない空だ
 
10年前とほとんど変わらない風景が目の前にある

あの日から いつか我が身と 引き締める

2011年3月に撮影した画像をピックアップしました

 
2011年3月11日午後3時58分
東北の地震と津波の様子を知らせているテレビ
慌ててテレビをヒモで縛って固定した
 
2011年3月12日午前6時22分
余震が何度も発生し、携帯電話の警報が鳴る
 
2011年3月13日午前9時14分
テレビで震災の様子を見続ける
 
2011年3月13日午後0時19分
この日退院予定の母を迎えるため病院に向かった
母も病院も無事だった
 
2011年3月16日午前11時11分
近所の小規模スーパーは人で溢れ、買い物難民が発生する
 
2011年3月16日午前11時15分
ガソリンスタンドはガソリンがなく開店休業中
 
2011年3月16日午後4時31分
計画停電により信号機が消灯し、恐る恐る走る
 
2011年3月17日午前11時31分
主だった食料品はスーパーから消えた
 
2011年3月17日午前11時32分
カップ麺は、ひとり1点のみが続いた
 
2011年3月24日午後2時28分
他の大型スーパーでも水もなかった
 
2011年3月24日午後4時36分
最寄りの南林間駅は照明も消え真っ暗だ
時刻表も間引きした臨時運行のみだった

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