◆2021.3.17


サクラ咲く
 
 今年もサクラが開花した。今回の桜にはいろいろな思いがある。今日撮影した桜は、先月亡くなった義母がいたグループホームから見える場所にある神社のソメイヨシノだ。毎年、職員さんに連れられて車椅子に乗って神社まで行き、花見をする。コロナ禍で昨年は花見も中止されたので、残念な思いをしたことだろう。今年はまたいずれにしても桜をめでることができなかったのは、残念なことだ。自分の人生であと何回花見ができるのか、と思い巡らせてしまう。若いころは、花見など年寄りくさいと馬鹿にしており、花見をするという考えすらなかった。結婚してから、親に桜を見せてあげたい、という思いが出てくるようになったようだ。桜の木の下で宴会するわけではないが、車で市内の桜の名所に行き、ぶらぶらとするだけだ。そんなささやかな親孝行の真似事でもして、これまでの親不孝を免じてもらいたかったのかもしれない。もうすべては過去の話となった。これからは、子どものいない私たちはできる範囲で花見をするしかない。花見も人生もいろいろなのだ。
 さて、1月7日から続いてきた新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言がまもなく21日で首都圏も解除される見通しとなった。変異株のウイルスが蔓延しつつあり、感染力や毒性も増していると言われており、この状況で特に打つ手もなく、宣言解除することは火に油をそそぐ行為に等しい。去年の3月20日から22日の3連休の惨禍を忘れたというのか。ウイルスの蔓延状況は昨年以上であり、事態は悪化しているのに解除するというのだ。特に多くの若者たちは解放されたくてたまらないはずだ。すでに人出も増えており、変異株も重なり、爆発的な再拡大は容易に想像できる。医療もあっという間に逼迫するだろう。この2ヶ月で政府はPCR検査の拡充や陽性者の隔離政策を充実させることもなければ、医療体制の支援も不十分であった。ワクチンは供給も効果もあやふやなままだ。これでこの先がどうなるかは火を見るより明らかなはずなのに、やるべきことをやらない。1年余り、経済を何とか回すための中途半端な政策が結局は、自分たちの首を絞める結果となっていくのだろう。個人的には、コロナに感染しないための基本的対策を維持していくしかない。平常心を保つための気分転換などを工夫して、長い戦いを生き延びてみせるしかないのだ。(SONY a7R3)

 義母のことについて
 3月2日の当でじかめダイアリーで義母の死を取り上げたが、妻や私の親戚には一切知らせずに葬儀等を行ったため、私の姪がホームページをたまたま見て驚いて電話してきたのだった。おおよその流れを改めて記してみることにする。義母は1年近く前から通常の食事ができなくなり、グループホームの職員さんには何とか口にできる食の提供を試みてもらい、好きなあんぱんだけを食べたり、やがてそれをつぶして飲み物とともに少し摂取するという、最期の2、3ヶ月はそんな状態であった。しかし、ソファに座ることもでき、声は出ており「お姉さん、ありがとう」の言葉は忘れなかった。トイレは自分の力で行くと前から言っており、部屋のトイレには這ってでも行こうとした。職員さんがすぐにサポートはするが、基本は自分の意思で行っていて、オムツを汚すことは最期の日までなかった。このグループホームでは家族が希望すれば、重篤になっても、同じ社会福祉法人の特別養護老人ホームに入所せず、また、病院に入院することもせず、ホームで最期を迎える態勢ができていた。定期的に、あるいは必要に応じて医師と看護師がホームに来て適切な処置を行っていく。義母の意思でもあり、また、家族の希望でもあり、痛みなどの苦痛が生じない限り、延命治療などは一切せず、自然に往くことを望み、それを受け入れてもらった。痛みもなかったため、あるいは我慢していたのかもしれないが、点滴することも、注射することもなかった。元来、人に体を触られるのが大嫌いなこともある。義母は半年以上前からいつ亡くなってもおかしくない状態だと医師から言われており、私たちは覚悟はしていたのだ。ほぼ食を何も受けつけることがなくなり、最期の10日間は口を水で湿してもらう程度だった。ロウソクの炎が芯だけでかろうじて灯っているようなものだ。2月20日のでじかめダイアリーの記事で妻が母を見舞うついでに私は近くの神社で写真を撮っていたが、そのときには義母はほぼ眠ってはいたが反応はしていた。そして、翌日、ホームから電話があり、呼吸が浅くなってきたとのことで妻と私が駆け付け、午前中から見守った。午後1時半ごろ眠るように往ったのは前述のとおりだ。晴れている日曜の昼間でもあり、休みの職員さんも次々に駆けつけてくれ、体を拭いてもらい、妻が案じて持ってきた最期に着せる着物に着替えさせてもらった。その後、医師が到着し、正式な死亡が確認された。多くの職員さんに見送られたのは幸せであった。実質的な告別式と言ったのはこのことだった。葬儀は義兄と妻と私だけで行った。菩提寺が横浜にあるため、それなりの手あつい供養は行ったつもりだ。若い住職は家族の気持ちを聞き入れ、戒名はいただくが、位牌は作らない。既存の墓に納骨はするが、いずれ祖父母等とともに合葬墓に埋葬することを了承してもらった。時代が変化していく中で葬儀とか墓とか宗教などの考え方がこれまでと違ってきている。私たちが死を迎えるころは、もっとシンプルなものになっているかもしれない。それはまた、それでいいのかもしれない。大切なのは、亡くなった家族への気持ちがどれだけ篤いかどうかということだろう。形式やこれまでのやり方にこだわる必要はどこにもない。義母の死はいろいろなことを、そして私たち自身のこれからを指南してくれているようだった。改めて、合掌。

グループホーム近くの稲荷神社のソメイヨシノが数輪咲いていた
ホームに最後の用事があって妻に付き添って行った

この枝はもう少し咲いていた

近くを散歩した
ハナニラが無数に咲いていた

以前よく行った公園も少し訪れた

枝垂れ桜が満開だ

古民家園では、1棟が茅葺き屋根を葺き替え中だ

ミツマタも咲いている

ユキヤナギが賑やかだ

ここにも別の枝垂桜が凛と咲いていた

終わりのカワヅザクラがまだ色香を残している

西洋水仙が柵越しに顔を出した

サクラ咲く 母にかわって 花見する

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