2021年08月09日

記録と記憶

 ようやくオリンピック東京大会は昨日の閉会式で終了した。日本はアメリカ、中国に次ぐメダルを獲得し、金27個、銀14個、銅17個と過去最多を記録した。これは日本の選手や大会関係者にとってはとてもうれしいことであり、そして、多くの国民も選手たちの活躍に感動を受けたことを結果としてはよかったとよろこんではいるだろう。
 しかし、払った犠牲はそれまでも莫大であったうえに、これからの新型コロナウイルスの感染爆発という大きな犠牲が伴うことも間違いない。オリンピックという現在のIOCやアメリカを中心とした運営方式は、金持ちの大国がスポンサーを得て利益追求を中心にしなければ成り立たなくなった巨大行事であり、最早何のためにオリンピックを開催しているのかわからなくなってきている。今回もコロナ禍の状況で無観客にしてまで本当に開催すべきだったか、とことん議論すべきであって、日本にとってメダルは良い結果だったかもしれないが、大会そのものが良い結果だったかどうかは、これから評価すべきだ。
 まず、IOCという特権階級的貴族組織は廃止すべきだろう。彼等のために大会経費はもちろんのこと、どれだけ無駄な招致活動費を費やしたことか。請求書は国民に来るのだ。初心に戻り、ギリシャのアテネで固定開催地にすればいい。参加国は参加種目や参加選手数などに応じて、分担金を支払い、その国等のGDPが一定未満であれば分担金は免除され、参加補助金が出されるようにするといい。
 ただし、どの国、地域も大会について決議や発言するときは、平等であり、分担金の多寡によって差別されることはない。など、いろいろ想像できると思うのだが・・・。また、スポーツという競争する姿や優劣が一目瞭然の競技はメディアで扱いやすいが、それ以外の文化・芸術の世界もオリンピックに相当する世界規模の大会などがあっても面白いだろう。当初、近代オリンピックには絵画の部門もあったはずだ。
 もし一斉に実施することがあまりにも経費が掛かり過ぎたり、不公平感が増したりすることがあれば、オリンピックは廃止すべきだろう。すでに、各スポーツ競技にはワールドカップなど世界大会があり、そこを頂点の大会と考えればいいだけなのだ。利益中心、経済中心、国威発揚中心のスポーツ利用はまったく不必要だ。純粋にスポーツを楽しみ、互いに競い合った結果を讃え合う選手たちの姿だけを記憶にとどめるにはどうしたらいいか、世界が知恵を出し合って根本から立て直す時が来ている。(SONY a7R3,PowerShot G7X2)

   今、テッポウユリがあちこちに咲いている

激しい朝の雨も過ぎていった
8月9日の空を見て長崎に思いを馳せる

8月6日の空は広島に・・・
記録し、記憶にとどめる努力は永遠に続く

宴あと 請求書のみ ひらひらと