2024年04月13日

桜・宴のあと

 4月も半ば近くになって、残っている桜もあるがピークは過ぎ、大騒ぎした祭りのあとのようだ。風が吹くたびに花びらを舞い散らせていく。それはそれで美しいのだが、切ない空虚感が伴うことも確かだ。
 いつもより少し歩いたところにある樹木が主体の公園に行ってみた。ナラ枯れで伐採された木が片付けられ、下草もきれいになり、以前と違ってスカスカになっている公園になっていた。それでも桜の木はいくつかあり、まだ、最後の花を残し、これで見納めになるであろう桜を愛でることができてよかった。ツツジも芽吹き、いくつかは花も咲かせている。一重のヤマブキも輝いていた。こんな季節のめぐりを楽しんでいきたい。(PowerShot G7X2)
 
  NHKの朝ドラ「虎に翼」が気になっている。2週が終わった。いつになく、女性の社会的地位のことをストレートに描こうとしている。NHKでは「困難な時代に立ち向かい、道なき道を切り開いてきた法曹たちの情熱あふれる姿を描く。」と番組説明にある。「法曹たち」であって「女性たち」ではないのがミソだと思う。ドラマはこれからだと思うが、法のもとに平等であることを男性も女性も法律家たちは戦ってきた歴史が描かれるのだろう。
 昭和初期の女性が男性に比べ異常に低い立場であったことがドラマではよくわかるが、来年で昭和100年になる現代にあって、「100年近く経っても、大して変わっていないじゃないか」と言わしめたいと伝わってくる。100年経っても、男女平等、男女同権にはほど遠い現状がある。国会議員の女性割合の低さ、女性管理職の少なさ、男女同一賃金の未達成、夫婦別姓や同性婚の未達成、男性の育児休業取得の低さ、などなどいわゆるジェンダー平等な社会とはこの日本はほど遠いところにある。
 まだまだ日本では男女平等のために、法律さえ整っていないもの、法律があっても実現されていないものがほとんどであり、それを阻んでいるのが、旧態然とした政治家たちの意識の低さだ。まずは、60歳以上の男性議員は次の選挙には出馬しないこと、から始めたらいい。その程度のこともできないようであれば、日本に未来はない。強制的にカタチから整える必要がまだまだありそうだ。
 これまでの朝ドラは、戦争をはさんで、男中心の社会にあって、才能と努力で開拓してきた女性や貧しいながらも歯を喰いしばって生き抜いてきた女性を描いてきた。婉曲な表現で日本の男女不平等社会を問うてきたが、今回は直接的な表現で日本の現状を批判しているように思われる。そう主張せざるを得ないほど現在の日本社会は停滞、または後退していると言いたいのだろう。今後のドラマの展開を楽しみにしている。


桜の花が散って、地面に張り付いている
もう宴は終わったのだ、と言っているようだ


藤棚がすっかり枝がはらわれ、今年は花は見られそうにない


胴咲きの桜が健気に咲いている


他の樹木と混ざり合って咲く桜もいい


ナラ枯れや低い木が取り除かれ、すき間が多くなった


ヘビイチゴの花が小さいが存在感を主張していた


ツツジも咲きはじめている


個人宅の桜が見事だが、こちらもそろそろ終わりだ


近くに一重のヤマブキが目を引く明るさで咲いていた

散り散りに 花人去りて 宴あと
百年の 時を経てなお 昭和なり