2010

民主党政権の落日
2010/12/7(火)
 もう誰の目にも映っているはずだ。現在の民主党政権には、日本の国政を任せることはできない、いや、1年前、希望を抱いた国民が馬鹿だったのか。政治のレベルは国民のレベルに比例すると言われるが、しかし、今回の民主党政権は明らかに国民のレベルを大いに下回る劣悪なものだ。期待しては裏切られ、次第に期待もしなくなるが、さらに国民の怒りを買うことしかやっていない。いまだに普天間や政治とカネの問題も引きずり、尖閣諸島や北方領土、北朝鮮などの外交政策も無策だとわかるにつれ、政権担当能力が皆無だったと言わざるを得ない。党内はバラバラで個人個人が好き勝手なことを言っているばかりで与党としての機能もない。すでに政権としては崩壊しているも同然なので、総選挙を実施するしかない。
 しかし、自民党が力をつけているかどうかは疑わしい。政界再編ということになるのだろうが、国民はもう待ってはいられない。待ちくたびれたのだ。サブプライムローン問題の2007年、リーマンショックの2008年、景気のどん底の2009年、復調の兆しを見せ始めた2010年、そして2010年の年末に至り、民主党政権は国民の足をひっぱり、復調しかけた経済までたたき潰そうとしている。菅さんは最近声が小さくなって元気がなくなっていると言われるから、「これからはできるだけ率直に国民に直接訴えたい」などと記者会見で言っていたが、そういう話なのかよ、と突っ込みたくなった。とにかくその道の専門家に閣僚になってもらい、政治のプロにこの国の運営はせめて任せたい。素人集団が何百人も集まっても、やはり烏合の衆でしかない。菅政権の落日ではなく、民主党政権の落日であり、日本の落日でもある。

ノーベル平和賞
2010/10/9(土)
 10月8日、平和賞のみを選考するノルウェーのノーベル賞委員会は、中国の活動家であり、作家の劉暁波氏に平和賞を授与することとした。劉氏は、天安門事件以来、中国の民主化運動を言論活動を通じて行ってきたが、2008年「国家政権転覆扇動罪」で逮捕され、服役中である。当然に中国政府は、この授与には反発し、ノルウェー政府へも関係が悪化するだろうと述べている。
 ノーベル平和賞というのは、他の物理学賞などと違って過去の実績主義ではなく、未来へ向けた政治的メッセージを発信する色彩が強く、ある意味では偏ったものの見方がされているような気がする。もちろん、中国の人権問題は、発展を続ける大国としてはふさわしくないことであって、言論や表現の自由を完全に開放せねばならぬことも当然であり、徒に他国と軋轢を増すのは無益なことである。しかし、中国にとっては、まだまだその段階を迎えていないと確信しているのだろう。中国の常識は、世界の非常識なのかもしれないが、百年河清を待つ国柄としては、機が熟さない限り、100年や200年は時間をかけるかもしれない。今すべてが開放されれば、旧ソ連や東欧のように、民族紛争や反体制運動が各地で頻発し、収拾不能な状況に陥ることは必至だろう。巨大な国であるだけに、それを最も理解し、恐れているはずだ。
 中国市場を全世界があてにしている中、ノルウェーの決断は勇気のあるものだが、このタイミングでよかったのかは疑問が残る。だから、平和賞も実績主義にしたらよいのではないか。マザー・テレサやネルソン・マンデラのような人は実績があって後の受賞である。核廃絶を訴える演説を一発やっただけのバラク・オバマの受賞に納得できる人がそんなに多くいるとは思えない。しかも、彼はアフガン戦争を泥沼化させた。そして、日本の佐藤栄作は非核三原則提唱で平和賞を受賞したが、日本の核配備を唱えていた。「棺を蓋(おお)いて事定まる」という言葉があるが、平和賞に関しては死後にその評価を待った方がよい。もし、現在進行中の出来事にメッセージを発するのであれば、国連など幅広い全世界的な意見を集約できる場が必要ではないか。ひとつの価値観を他者に押し付けるような平和賞選定であっては、これもひとつの独裁的思考であって、ノーベル平和賞はひとつの方法として、該当者なしで当分封印してもよさそうな気がする。中国を擁護する気は決してさらさらないが、ノーベル平和賞の存在に異議のある人々も多いと思う。

尖閣諸島沖中国漁船衝突事件
2010/10/2(土)
 9月7日に発生した尖閣諸島沖の中国漁船と海上保安庁の巡視船との衝突事件は、漁船の船長を25日釈放後、中国側は徐々に謝罪や賠償要求を口にしなくなり、やや態度を軟化させる形で落ち着きを見せる様相となっている。日本では、「船長を釈放すべきではなかった」「強圧的な態度で迫る中国の言いなりになる弱腰外交だ」「もっと毅然とした態度であるべきだ」など共産党を含む野党からも与党の民主党内からも非難轟々である。そして、ようやく始まった国会では「那覇地検が独自の判断で粛々と日本の法に則って、船長を釈放した。」「いや、政治が介入しないわけがない。地検独自に政治判断したなら大問題だ。」とこれまでの繰り返しのやりとりで発展性がなく、ただ騒がしい。
 ああ、また、やってしまいましたね、いや、相変わらずだね、民主党さん!というところだろう。民主党代表戦のさなかに発生した今回の事件で、船長・船員を逮捕してしまった政府の判断が大きな分かれ目となった。つまり、民主党政府は船長らを逮捕した後、どう決着させるかの最終シナリオまで描けていないのに、「逮捕」という行動だけを実行してしまった。民主党の外交政策とか方針というものがもともと存在しない、というのは普天間問題などから、よくわかっていたが、今回もあまりにもお粗末な話だ。鳩山前首相が「私だったら温家宝首相に電話して腹を割って話し合う。」とか無邪気なことを言っていたのには、開いた口がふさがらない。中国に500人以上の関係者を連れて参上した小沢さん、日中国交回復の立役者田中角栄を父に持つ田中真紀子さんは何も行動しなかったのだろうか。それとも政治家の太いパイプなどやはりなかったのか。常識で考えるなら、意思疎通のできる互いの政治家どうしが、直ちに水面下で動くはずだろう。主要な大国とは、少なくともそうした関係が野党時代から築きあげられていてしかるべきだ。外務省の外交官は、その立場で極力行動しているはずだ。
 つまり、尖閣諸島が日本固有の領土であるかどうかは今回の問題ではなく、領有権などの外交紛争が発生した場合の危機管理体制がまず政権与党に明確にできているか、その他主要国との関係をどうあるべきか、などの共通認識を一人ひとりの与党政治家に備わっているかどうかが問題なのであり、そうした能力を有した政党でなければ、外交問題はおろか国内問題のひとつひとつに至るまで、民主党に任せられる政治課題は皆無になってしまう、という政権与党の存在理由が問われていることを忘れている議員が多すぎるのだ。政府の対応に異議を唱える与党議員がいるのは自由な意見を発信できるおおらかな政党というイメージはよしとしても、では問題解決のためにその議員は具体的にどう奔走したかが価値を決めるはずである。野党的発言をマスコミの前でしているだけの与党議員は害はあっても益はない不要な存在だ。代表戦後はノーサイド、挙党一致と言っていた菅さんの言葉が今さらのように空しく思い出される。中国側も民主党代表戦のごたごたの中で、リトマス試験紙を投じてみたかったのだろう。次はロシアの番だ。さあ、どうする、民主党さん。ロシアにパイプのあるとされる鳩山さんには、今度もしっかりと何もせず顔も出さず、隠居部屋にでもいてほしい。その方がずっと国益に叶う。中国や台湾と領土問題が現実に発生している以上、その対応は「粛々と」ではなく、外交のできる政治家が丁寧に気長に情熱を持って進めていくべきである。
 
 閑話休題 「粛々と」という言葉は、「ひっそりと静かに」「厳かでひきしまって」「謹んで」などいう意味があるそうだ。この言葉を政府関係者や役人が使うと何とも、冷徹無慈悲で法律や慣習に基づき、淡々と機械的に処理しますよ、あなたの戯言なんか聞きはしませんよ、というメッセージが込められていて、普通の人々の感情のひだを無視したマイナスなイメージしか抱かない。政府関係者などがこの言葉を乱用するときは、国民はその意味するところをよく吟味しなければならない。

為替介入
2010/9/15(水)
 政府・日銀は15日(水)午前10時半すぎから断続的に、為替介入を6年半ぶりに実施した。欧州、米国時間でも実施する構えである。規模は1兆円を超えるという。円が米ドルに対して82円台まで高騰する円高基調の中、また、為替介入を明確にしなかった菅さんが首相を続投することで、民主党代表選挙が明けた15日、株安・円高で始まった東京市場に衝撃が走った。これまで、野田財務大臣や関係閣僚は「市場を注視している。円高がわが国経済に及ぼす悪影響は大きい。必要なときには断固たる措置を取る。」と口先介入を繰り返してきたが、実際の為替介入は「まだまだ、やれるわけがないだろう。」という雰囲気が市場にはあった。そういう意味ではサプライズであった。結局は現在のところ、米ドル円85円後半まで上昇し、円安ドル高の当初の目的はまあまあ実現している。しかし、欧州、米国が各国の通貨安をバネとして輸出産業に力を入れているところであり、日本による単独介入は、迷惑な話で、一時的なメッセージを発したに過ぎず、円高基調を転換させる根本的な流れにはならない、というのが一般的な見方だ。
 民主党政権に足りないものは、やはり、経済なら経済をどういう方向に持っていくかという中長期ビジョンと個々の短期的な政策や具体的なタイムスケジュールを何も描けていないというのが、最大のウィークポイントであり、致命的欠陥政権である。今回の為替介入もほんの一時の時間稼ぎなので、今後はどういった経済政策を打ち出すのかが重要なのであって、為替介入は「やるときはやるよ」という単なる前ふりの宣言でなければならない。為替介入をもって政策のすべてだと言われても、あまりにもお粗末な話であり、「次は何をやってくれるの?」という期待が高まるばかりである。そして、「次はないって!」ということになれば、元の木阿弥であり、介入に使える40兆円は政府の米ドル資産を増やすばかりのことになる。やるときは先のことも考えて、それを国民に示さねばならない。いつまでも党内闘争の後を引き摺り、これでは仕事を何もしないうちに政権が消滅することになろう。いくらのらりくらりの菅政権であろうと、最低限のポイントは抑えて、経済の建て直しを図ってもらうのは当然のことである。拍手喝采を受けるような大ヒットではない実現可能な地道な政策を打ち出してほしい。   

民主党代表選挙と英雄待望論
2010/9/14(火)
 国政選挙でもない一政党内の代表を選ぶ選挙戦がようやく終わった。民主党のお家騒動に付き合わされた国民は、もううんざりである。結局、この1年余りの民主党政権時代は、政治空白の時間の方が長かったのではないか。政治では何も決められず、経済では何も打つ手がなく、外交ではアメリカや中国にバカにされ、自己矛盾の連鎖に陥り、民主党そのものも分裂、あるいは実質分裂になっていくことだろう。政治とカネの問題を結局払拭できなかった豪腕小沢一郎、そして、何が本音なのかわからない、よりマイナスではなかっただけの菅直人。こんな国、日本に我々は暮らしている。
 この嫌な雰囲気を我々は注意しなければならない。飛躍するかもしれないが、ヒトラーが世に出てきたのは、まさに、このような雰囲気の時代にあったような気がする。英雄待望である。疲弊した経済状況の中で、アウトバーンなどの公共事業による雇用創出、高等教育の無償化、母子手当てによる少子化対策(この辺は民主党と全く同じ手法)といった大衆受けする政策を展開し、大喝采を受け、成功する。そして、その後は知ってのとおり、破滅に向かって暴走する。
 現在の日本、いや、世界各地の先進国では、政治形態も経済状況も不透明でどん底を這い回っている。この重苦しい状況を何とか早く脱したいと誰もが思う。しかし、急ぐと取り返しのつかない結末を迎えることになる。次に世界大戦が勃発したら、地球は滅亡する。極端な話かもしれないが、想像に難くはない。菅直人のような人材しか輩出できない日本では、特に経済面では期待できず、低迷していくことは間違いない。しかし、この停滞時期はのらりくらりとやり過ごす菅さんの方が「安全」である。停滞は長引くかもしれないが、破滅に突っ走ることはないはずだ。国民はひたすら耐えて、自分たちでできることからこの状況を打破することを模索するしかない。政府の政策がヒトラーと似通ったものを乱発するようになるのを警戒することが大切だ。目先の利益のみに終始すると、とんでもないしっぺ返しが国民に降りかかってくることは必定だ。
 早くも第二次菅内閣が発足することだろう。第一次のときには、仕事は何もしないうちに参議院選挙、そして、民主党代表選挙に突入してしまった。新たな改造内閣によって何が見えてくるのだろうか。歓喜もしなければ、失望もない、無味乾燥の布陣で3年間は頑張ってほしい。   

裁判員制度
2010/9/13(月)
 裁判員制度が施行されてから1年余り経った。現在、麻薬を使用した元芸能人の保護責任者遺棄致死罪について、裁判員が参加しての裁判がマスコミの注目を浴びている。
 裁判員制度は、国民に司法を身近なものに感じてもらい、国民の普通の感覚や常識といったものを裁判の中で生かしていこう、というものだ。裁判員裁判の対象となる案件は、重大犯罪事件とされ、殺人罪、傷害致死罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪などだ。今回の元芸能人が問われている保護責任者遺棄致死罪も対象となってくる。
 制度が実施されてから、現在までのところ大きな混乱は生じていないようだが、今回の元芸能人の案件については、容疑を否認しているケースなので、裁判員の判断も難しいことになると思われる。今後は、殺人罪などでも無罪を主張している案件では、素人の裁判員にどんな判断ができるのか、疑問がある。そもそも、司法を国民の身近に感じてもらう必要性がどこにあるのか。検察官や裁判官、弁護士はどれほど、国民の普通の感覚や常識からかけ離れているというのだろう。確かに、素人の国民の視点は、法曹界の人間には新鮮に映り、考え方を改める、などという場面もあるかもしれない。しかし、なぜ、一般国民を裁判という土俵に強制的に上げなければならないのだろうか。裁判官たちは、もっと一般国民の常識を知る努力をすればそれですむ話ではないか。法律の専門家が下界に下りる努力が率先されるべきであり、国民に対して、いたずらに精神的苦痛を与えるべきではない。無期懲役か死刑かの判断まで迫る必要がどこにあるのか。国民にも理解しやすい裁判制度をつくりあげるうえで大切なことは、素人の裁判員の意見や判断を聞くことではなく、一般国民の感覚も取り入れるシステムづくりであり、それを法律家自身が実践すること、それが第一義であるべきだ。頭が凝り固まっているようでは、もともと公正な判断などできていなかった、ということになる。自分たちがやるべきことを後回しにして、国民に負担を強いるのは徴兵制を復活させるのと等しい愚かな制度だ。日本人は真面目なので、裁判員に選ばれると案件に対して真摯に取り組むようだ。しかし、国民は、必要な人が必要なケースで法律に関心を抱き、触れていけばいいのであって、国家権力によってまで、「法」を身近に感じる必要など決してあってはならない。   

民主党の派閥
2010/8/20(金)
 8月19日(木)、民主党の鳩山さんのグループが自身が所有する軽井沢の別荘で研修会を開いた。そして、小沢さんも呼ばれたという。9月に行われる民主党の代表選挙に向けて、菅代表を引き降ろすための決起集会だ。総勢、衆参両議員約160名が参加したとのこと。ここで、普通の国民は、おや?とすぐ思うはずだ。鳩山さんって、普天間問題や政治とカネの問題の未決着と社民党連立離脱の責任を取って、首相と党代表を降りて、次の衆議院選挙には立候補せず引退するとおっしゃってましたよね。そういうことを言っておいて、「グループの研修会」って何なのですかねぇ、とごく普通の国民はハテナと思う。まして、その研修会に同時に民主党幹事長を辞めた小沢さんまでが出席して「国民の期待に応えるようにやりましょう」と気勢を揚げる。何なのこの人たちって、と「普通の国民」はあざけりの思いで冷たく見ているはずだ。やはり、民主党は自民党と同様に大所帯になってからは、グループとか研究会とか称する「派閥」が9グループ程度に形成され、それに基づいて、各議員は離合集散しているようだ。
 7月に実施された参議院選挙で民主党は、参議院で与党として過半数を確保することができなかった。菅さんは、消費税の増税論議を10%などと具体的に何の相談もなくぶち上げ、参議院選挙で敗退したことで、小沢さんに謝ったり、色々な場面で謝っている。国民は、前の鳩山・小沢体制よりも少しはましかな、と思って期待していたのに、完璧に裏切られた、という思いがある。しかし、「日本人の恥の文化」として、国民はもう コロコロと総理大臣を毎年、いや、半年ごとに取り替えるのは、世界の他の指導者に対してあまりにも恥ずかしい、と素朴な感情を抱いたのだ。菅さんもダメなんだけど、国民は少しガマンして、菅さんにやってもらおうか、と腹を据えたところなのだ。自民党にはもはや戻れないし、鳩山さんや小沢さんに今さら再登場していただくのは、国民の抱くシナリオからは完全に削除されている筋書きだ。その辺を感じ取れない今回の鳩山グループの研修会は、民主党をさらに旧態然とした自民党派閥政治の模倣を彷彿とさせるだけで、国民へは「自民党と何にも変わらない国民乖離の政党だ」と改めて思わせるだけだ。民主党はこの1年間、国民のために何をしてきたのだろうか。そして、この先、何をしようとしているのだろうか。菅さんにいたっては、総理になってからの2ケ月あまり何も仕事をしていない。党内闘争に明け暮れている。こんな状況で、皆目、何も見えてこない民主党政権の基本政策を見極めるため、苛立ちながら静観しているのが実情だ。この猛暑の夏に、民主党の多くの議員が熱中症で心身を犯されてしまったようだ。    

ねじれ国会
2010/7/13(火)
 11日に実施された参議院選挙で民主党は、菅直人首相が目標とした54議席以上を獲得することができず、44議席と大敗に帰し、参議院での総議席数は106と、また、連立の国民新党も議席を減らし、合わせても109と、与党は過半数(123議席)を割ることになった。逆に議席数を伸ばしたのは、自民党(71→84)、みんなの党(1→11)だった。これにより、衆議院では単独過半数を有する民主党は、参議院では過半数を満たさないため、衆参のねじれ現象が起きる「ねじれ国会」となることになった。しかも、衆議院での与党勢力(315議席)は3分の2(320議席)を満たしていないため、議案が参議院で否決され、衆議院での再審議となっても、議案は廃案となる。
 鳩山前首相が、普天間や政治とカネの問題で辞任し、菅さんがようやく眠りから覚めたがごとく、後継の党代表・首相に名乗りを上げ、実現した。鳩山政権への落胆が大きかったこともあり、菅首相への国民の期待も大きく、支持率はV字回復した。その支持率の高さを過信し、国会会期を延長せず、参議院選挙になだれ込んだ。しかし、消費税10%増税と低所得者への還付対策を向こう見ずにも、打ち出してしまった。ころころ変わる消費税還付の所得の範囲。国民の多くは、いずれ消費税が上がることはやむを得ないことだと思っているが、さまざまな無駄の見直しや議論がされた結果の増税であって、なぜ、具体的な数字がここで飛び出してくるのか、という不信感が急速に増してしまった。やっぱり、鳩山さんと同じ、思いつきで言っているだけだと、国民は見て取ってしまった。消費税のことばかりではなく、まだ見えぬ普天間問題の行く末、政治とカネの問題、何ひとつ鳩山政権時の大きな問題の解決策を見せていない。これでは民主党に任せておくわけにはいかない、となるのは国民の当然の帰結だ。「綸言汗の如し」と鳩山さんのときから言われつづけてきたのに、日本のトップの発言があまりにも軽すぎて、信用できるものがなくなっている。でも、自民党に戻るのもどうかなあ、みんなの党もちょっとねぇ、と国民は悩んだ末に民主党に対する批判票として投票したというのが本音だろう。
 民主党政権になって10カ月、この政権は何かを生み出したり、解決させることができたものがあるのだろうか。経済効果的なものは自民党時代の延長であり、事業仕分けは結果的に無駄を減らす特効薬にはなっていない。これからの「ねじれ国会」の中でどういう効果的な政策を示し、他党とどう協調し、実現していくか、政権与党の存在意義を示す最終段階を早くも迎えている。それにしても、頼むに足りる日本のリーダーはいないものだ。国民はいつまで経っても、隔靴掻痒のもどかしい思いをするようだ。

菅直人奇兵隊内閣発足<
2010/6/9(水)
 鳩山さんと小沢さんが退陣し、予想のとおり菅直人さんが鳩山由紀夫さんの後を継いで、民主党政権で第二番目の内閣を担うことになった。民主党の幹事長に反小沢の急先鋒枝野さんを、行政刷新大臣に連舫さんを起用するなど、事業仕分けで評判高いふたりを据えたのは大衆受けする選挙管理対応と受け取られてもしかたあるまい。記者会見で新内閣を象徴するキーワードを尋ねられ、逃げるのも攻めるのも速い高杉晋作の「奇兵隊内閣」とでも名づけてほしいと言ったときには、かなり引いた国民が多いのではないか。「(奇兵隊のように)停滞を打ち破るために、果断な行動が必要だ。」とも言った。菅さんは、鳩山政権時の副総理であったことを忘れてしまったのだろうか。鳩山政権が間違った方向に行きそうになるときに、全力で補佐し、諫言すべきであったのに、最後までそれを怠ってきた罪は深いものがある。ずっと、逃げっぱなしではなかったのか。あるいは、次期総理を念じて、鳩山政権が派手に崩壊するのを待っていたとしか思えない。こんな駆け引きばかりしている政治家を、どの党であろうと、国民は信用することはできない。
 「強い経済と、強い財政と、強い社会保障を一体としてを実現する」と最初に言っていたが、何か重要なものが抜けていませんか、と言いたい。「強い政治、強い内閣」が必要でしょうに。この場合の「強い」とはしっかりした中心のぶれない基本政策を持った、という意味だ。参議院選挙に向けて、選挙用の表面的なマニュフェストよりも政府与党の基本政策をきちっと示してもらいたい。菅内閣は、何のために何をやりたいのだ、という根本のところをひとつひとつ具体的に説明しなければならない。
 社民党とは、連立を解消したが、まだ、国民新党と連立が続いている。今後もこの小政党に振り回される可能性が大きいので、選挙前にでも連立を解消しておくべきだろう。国民は、鳩山さんに落胆し、菅さんならもう少しよくしてくれるかもしれない、という淡い期待を抱いている。足をひっぱる連立政権など国民は当初から望んではいない。

聞く耳
2010/6/3(木)
 鳩山さんは、6月2日、内閣総理大臣の職を辞すると発表し、小沢さんも道連れに民主党幹事長職を辞任するとした。普天間基地移設問題が結局自民党案のままになったこと、政治と金の問題を小沢さんも鳩山さんも自ら正し払拭できなかったこと、社民党に連立離脱されたことが主な要因のようだ。辞めないままで参議院選挙に突入していってしまう、という可能性もあったが、ぎりぎりのところで、普通の「決断力」を見せた形となった。自ら招いた結果であり、また、民主党政権の稚拙さが露呈したものだった。
 民主党政権は、発足まもないころから、中身のない、枝葉的な手法を見せては失敗し続けてきた。発足当時から危惧していた「政策のない政権」は、「国民のみなさんにご理解いただけるよう・・・」と言葉数は多くても、納得できる将来展望はなく、考え方に終始一貫した太い幹を感じるものを国民はついに見出すことができなかった。ここで、後任が誰になっても、それを見せてくれそうにはない。菅さんが次の総理になりそうだが、政権交代当初、名称だけは立派な国家戦略局とかで、何も仕事をしなかったし、現在に至るまで何もしていない。中継ぎとしても、あまりにも賞味期限が切れてしまった人材だ。 政権交代から8ケ月しか経っていないのに、自民党政権の末期と何も変わっていない。いや、自民党の方がまだ自由な空気はあった。民主党には当初から小沢支配の下、重い空気の中で新人、若手議員は窒息していた。多様な人材がいたはずなのに、生かすことができなかった。鳩山さんが退陣したのではなく、民主党政権が自ら瓦解し、敗北したのだと思った方がいいだろう。
 
 さて、昨日の鳩山さんは、両院議員総会の席やぶら下がり記者会見の中で「国民のみなさんが聞く耳を持たなくなってしまった」という表現を用いた。この人は最後まで、大事なところで、言葉の使い方を間違ってしまった。「聞く耳を持たない」というのは、「うちのドラ息子は、大バカで親の話に聞く耳を持たないどうしようもないヤツだ」のように使い、人の話を聞こうとしない、聞く耳を持たない人間は悪であったり、劣ったりするものを指している。そんな風に思って使った言葉ではないと、本人は思っているはずだが、あきれたものだ。国民の声に聞く耳を持たないのは、鳩山さんであり、民主党政権でしょうに。

 日本では、しばらく実質的リーダー不在の状態が続くことになりそうだ。北朝鮮の逼迫した情勢や口蹄疫の対応など、国家としてすばやく的確に動ける体制が必要なときに、日本国民は右往左往する民主党政権のもとで、疲弊していくことになりそうだ。

総理の腹案
2010/5/4(火)
 5月4日(火)、鳩山首相は沖縄に出向き、県知事や県民と会った。その結果は、「海兵隊の抑止力を維持するため、普天間基地の機能を国外あるいは県外へすべて移すのは困難なので、沖縄に一部の負担をお願いする。」という沖縄県民が激怒するお願いごとをするだけであった。「最低でも県外」という約束は跡形もなく粉砕させてしまった。
 さて、鳩山首相の口から「腹案」という言葉がたびたび国会答弁以来出ているが、広辞苑で「腹案」を見ると、「心の中に持つ考案」とある。この意味を素直に解釈すると、自分の心の中にあるだけで、近しい誰かと相談し調整された具体的な案ができているのではない、ということになる。国家の重要課題を、「腹案があるから」と国会での追求をはぐらかし、なかなか最終案を示さない鳩山首相は、沖縄県民の前でもそう言って逃げた。ここまで引っ張り続ける実現可能な腹案なるものが、本当に存在するのだろうか、極めて怪しい状況である。徳之島への一部負担というのは、住民の大反対の意思が固まっており、5月7日の町長たちとの折衝は破談必至だ。この状況で、さらに別の地域に移設することが確約されている超ウルトラC級の「腹案」があるとは、到底、どう転んでも考えられない。原案(辺野古)もしくは、現状維持(普天間)に戻るのが、腹案ということではないはずだが・・・。総理の腹案とは、まさに「心の中」だけで終始してしまう空しくお粗末な絵空事にしか過ぎないようだ。

 沖縄県に次いで軍事施設の多い神奈川県民として、また、普天間より人口密集地域に隣接する厚木基地を抱える大和市民のひとりとして、沖縄県民の気持ちはわかると思っている(人口密度 宜野湾市4700人、大和市8350人)。墜落事故が過去に何度もあった、米兵に追い駆けられた女性もいた厚木基地周辺。現在でも戦闘機やその他軍用機の騒音被害は夥しいかぎりだ。まして、沖縄はさまざまな形で基地に関わって生活を維持している、いわば迷惑代を糧として生きている人たちが多いはずだ。基地はいやだけど基地がないと生きていけないという自己矛盾を強いる、この屈辱的な支配を拒否したいのは当然である。鳩山首相が、沖縄県民の気持ちを理解することは一生涯無理なことであろう。

 鳩山首相はこれで万事休す。政治生命は絶たれたことになる。今さらこの人の言うことを信じる日本国民やトラストするアメリカ人はいない。あとは、小沢幹事長とともに参議院選挙の前に辞職するのが、順当なシナリオとなるだろう。日本国民は、頼るべきリーダーを喪失したまま、この日本の将来で暮らさなければならない運命となった。新政権発足当時から危惧していた「政策のない政権」であることが明確に露呈してしまった。こうなったら、一日も早く、「政治主導から官僚主導へ」戻した方がずっとましである。

陸山会
2010/1/17(日)
 民主党政権が大きな危機を迎えている。小沢一郎民主党幹事長の元秘書をしていた石川知裕衆院議員が政治資金規制法違反で東京地検特捜部によって15日夜、逮捕された。小沢の資金管理団体「陸山会」が購入した土地代金4億円の収入内容が政治資金収支報告書に記載されていなかった関係で、元事務担当だった石川が記載しなかったものとし、逮捕したものだ。さらに、翌16日には、会計責任者の公設第1秘書大久保隆規が、やはり、を政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で逮捕された。逮捕者は、石川と元私設秘書池田光智に次いで3人目となった。
 東京地検特捜部は、小沢への事情聴取を要請してきたが、小沢は拒否し続けていた。そして、13日には、石川事務所やゼネコンの鹿島を一斉家宅捜索をしたところだった。さらに、その前日12日、小沢幹事長の定期記者会見で、「国民のみなさまに誤解を与え申し訳なく思っている。」「今の段階で申し上げるのは差し控える。検察当局がすべてご存知だと思っている。」と説明を拒否し、検察を挑発していた。
 そしてついには、16日の民主党党大会で「逮捕・強制調査には納得いかない。断固として、自らの信念を通し闘っていく。」とし、検察と全面的に戦っていくとした。また、鳩山首相も「どうぞ戦ってください。」と声援した。異常な事態に発展してしまった。民主党でこの状況に異を唱えるものは少なく、前原国交相が「説明不足ではないか。」とわずかにいただけである。18日からは、国会が始まる。自民党は当然、関係者への参考人招致または証人喚問を求めていく方針だ。
 さて、報道でよく登場する「陸山会」とは何なのだろうか。小沢幹事長の資金管理団体とされているが、その実態はどういうものなのだろうか。すぐに連想するのが「越山会」だ。越山会は、言わずと知れた故田中角栄首相の政治団体で巨大な後援組織だ。新潟3区で田中の地盤を強固にし、多いときには会員9万5千人を超える組織になった。一方、小沢は父の後を継いで旧岩手2区で衆議院に立候補したが、その後援組織が後に資金管理専門の陸山会となったようだ。小沢が選挙に初当選したとき、その選挙を仕切ったのが、当時の自民党幹事長の田中角栄であり、小沢は以来田中の寵愛を受けてきた。その田中の越後にあやかって、小沢の陸中あるいは三陸にちなんで、「陸」としたのだろう。小沢のホームページには、次のようにしか記載されていない。
  名称 陸山会、所在地 東京都港区赤坂 2−17−12 チュリス赤坂 701、代表者 小沢一郎、担当 馬場慶次郎
 そもそも政治家には「資金管理団体」なるものが必要だということに驚きを覚える。政治にはカネがかかり、そのカネをいかに潤沢に集め、効果的に使うかが政治家のもっとも大切な仕事であり、必要な能力なのだ、ということになってしまっている。自民党ばかりでなく、民主党においても、田中角栄時代をそのまま引きずっている小沢一郎が率いているうちは、カネと数の力という構図は変わらないのかもしれない。
 国民目線という言葉を鳩山首相はよく用いていたが、今こそ国民目線に立った態度で小沢に幹事長職を辞めてもらうとか、もっと具体的に納得できる説明を求めるなど党内の自浄作用が働かなければ、民主党の天下は1年と持たないだろう。しかし、残念なことに民主党に替わる政党が存在していないのが日本国民にとっての悲劇である。自民党はまだまだ再起不能状態だ。日本は民主主義の初心者から一歩も前に進むことができていない。これでは、いずれ中国の属国になる日もそう遠くはないかもしれない。   

WORDS TOP