2012

第三極
2012/11/24(土)
  我が家にある古い広辞苑には「第三極」という言葉は載っていない。「第三党」ならある。「二大政党の間に介在して、或程度までキャスティング・ヴォード(決済投票権)を握っている政党」となっている。「第三極」は新しい言葉なのだろう。ネットの辞書では、第三極は「 (南極、北極に次ぐ極地)ヒマラヤ山脈をいう。第三の極地。」を最初の意味とし、「政治、軍事、経済などの二大勢力に割って入り、あわよくば主導権を取ろうとねらう新興勢力。」と解説している。なるほど、ヒマラヤ山脈を新興勢力の極地のひとつとして見る発想なんだ、と感心する。日本におけるまず第一極は、基本的には民主党で、第二極は自民党となるのだろうが、南極と北極ほど隔たりがあるのかという点では疑問がある。消費増税など双方合意できる法案になったということは、第一極、第二極渾然一体となった状況で、好き嫌いの人の集まりでしかないような気もする。
 さて、第三極だが、11月16日に野田総理大臣によって衆議院が「バカ正直解散」されてから、橋下大阪市長率いる「日本維新の会」と、「たちあがれ日本」を主体とした石原前東京都知事が率いるが「太陽の党」が合流して、石原さんが党首の一応新生「日本維新の会」となった。河村名古屋市長の「減税日本」が一時いっしょになる素振りをして去って行き、橋下さんは、渡辺喜美さんの「みんなの党」も合流するよう説得しているようだ。で、河村さんは、亀井静香さんらといっしょになり、「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」となった。そして、この新党は、小沢さんの「国民の生活が第一」と連携したいようだ。いったい何なのだこの離合集散は。「日本維新の会」を小さな政府を目指す第三極Aグループ、「減税日本…」や「国民の生活…」を大きな政府を目指す第三極Bグループと呼ぶのだそうだ。しかし、常に自分の保身と利益誘導の思惑が働くこの人種は、まだまだ、付いたり離れたりの野合を繰り返すのだろう。
 置いてけぼりにされたのはやはり国民だ。いったいこれで何を選択すればいいというのだろう。第一極から第三極まで「極右」のグループばかりになってしまい、自民党は「国防軍」などとまで言いだしている。まともな政治的なバランスが崩れ、国民の誰も望まない政治がなされようとしている。かつての野党第一党の社会党(現社民党)は、見る影もなく、その目付の役割は果たせそうにない。共産党だけが終始一貫していると言えば言えるが、国を運営することはないだろう。
 12月4日公示、同16日投票の今回の衆議院総選挙は、かつてないほど困難な選択を国民は強いられることになったが、将来を見据えて、国益と外交のバランスをきちっと見極め、二度と戦争に向かわない政治を私たち国民は選択し、確実な一票を投じなければいけない。

報道の自由
2012/10/20(土)
 週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」と題する記事に関して、橋下徹大阪市長は、出生にかかわる同和地区を特定できる表現など「一線を越えている」と痛烈に批判し、親会社である朝日新聞社が謝罪するまで取材拒否する、と記者会見で明言していた。そして、18日には、週刊朝日が「不適切な記述が複数あった」と、謝罪コメントを出し、翌19日には連載中止を決定し、朝日新聞社も「同和地区などに関する不適切な記述で橋下徹・大阪市長をはじめ、多くの方々にご迷惑をおかけしたことを深刻に受け止めています。」とする記事をネット掲載した。
 週刊朝日、朝日新聞社のほとんど全面的な敗北、撤退を決定した顛末である。一体なぜこんなことになってしまったのか?週刊朝日が外部の作家による記事をまさか何もチェックや判断をせずに載せてしまったとでも言うのだろうか。当初の掲載を問題なし、と判断した意思決定と「不適切」とその後、正反対の判断をした編集者や朝日新聞社の思考の変化には何があったのか、ひじょうに知りたいところだ。ふつうは、出版するからにはどんな批判にも堪えうる根拠、論拠をもって活字にしていくはずだ。それがいとも簡単に謝罪することになるような記事を公表する出版社、新聞社の信念や覚悟があまりにももろい。もろいというよりも危ういものを孕んでいる。報道、表現の自由という、絶対にもう侵されてはならない戦後民主主義のたまものを、自ら斬り捨てる行為は、断じて許されないであろう。小さなミニコミ紙やインターネットのブログやツイッターで囁いているのとは異なり、やはり、日本を代表する大手の新聞社(関連会社)が公表、出版するからには、重大な責任が伴うはずだ。
 今回の急転直下の謝罪により、朝日新聞社はその報道と表現の自由を放棄したのに等しい。以前、サンゴ礁にカメラマンが傷をつけ、それを写真に撮り、他人がやったように見せた朝日新聞の記事のことを思い出す。それよりはるかに良識の度を超えた記事内容を載せた責任をどう果たすのか。「当社は、差別や偏見などの人権侵害をなくす報道姿勢を貫いています。」と浅い表現で終わってしまうのか。こうした行為の繰り返しに対しては、必ず権力側からのしっぺ返しを食らうはずだ。この先、みすみすと自由を奪われる仕業をなぜ行ったのか、詳しく検証してほしい。あくまでも提訴されても謝罪などなく連載を続けるか、当初から公表しない、のいずれしかなかったはずである。ここに朝日新聞社はその命を絶たれたのである。

追記
2012/11/14(水)
 ようやく朝日新聞の社説で今回の報道に関して新聞社の声明が出た。記事の内容と反響に対する見解を示しただけで、なぜ、そうなってしまったかの意思決定の経過が何も言及されていない。あくまで「すぐ近くで働く仲間」という他人事であり、こんな内容では批判がまた集まるだろうし、同じ過ちを繰り返すことを予告しているようなものだ。やはり、お粗末だ。当の橋下さんは政治的な対応で決着させてしまったが、読者がこれで納得できたとはとても思えない。
週刊朝日問題―報道の自覚に欠けた
  橋下徹大阪市長をめぐる週刊朝日の記事について、外部識者でつくる朝日新聞社の「報道と人権委員会」が見解を出した。
  記事は、出自を根拠に人格を否定するという誤った考えを基調としており、人間の主体的尊厳性を見うしなっている――ときびしい批判が並んだ。
  小紙社説の執筆を担当する論説委員室も、指摘はもっともだと考える。すぐちかくで働く仲間がおこした過ちであり、痛恨の極みというほかない。
  橋下氏は国民が関心をよせる公人のひとりだ。生い立ちや親族を取材・報道すること自体は否定されるものではない。
  だが、委員会の見解を引くまでもなく、生まれで人格が決まるような考えは明らかな間違いだ。また、一般にふれてほしくない事実を取りあげる場合は、必要性が伝わり、そこに踏み込むだけの説得力が求められる。ところが、記事からそれを読み取ることはできない。
  具体的な地名をあげ、被差別部落があると書いたのも配慮を欠く。差別事件が題材のときなど、必然性があって明示する場合もある。しかし今回、言及した理由はどこにあったのか。
 タブーを恐れず本音で切り込むことこそ、メディアの使命であり、雑誌の役割も大きい。だからといって記事の精度が低かったり、人権をないがしろにしたりする行いが許されるわけではない。当然の理だ。
 私たちはこれまで社説で、表現・言論の自由の大切さを繰りかえし唱えてきた。
 知識や意見、それに対する反論を伝えあい、共有することによって、ものごとを考え、議論を深める土台が形づくられる。民主主義を、強く、たしかなものにするために最も大切なものが、表現の自由である。
 マスメディアだけの権利でないのはもちろんで、社会全体で守り、育てていくものだ。
 一方で表現の自由は、名誉やプライバシーなど他の重要な価値としばしば衝突する。  その調和をどこに求めるか。表現にたずさわる者が悩んできたテーマであり、これからも悩み続ける課題だ。そこにしっかりと向きあわず、今回のようなひとりよがりの表現行為に走れば、人びとの批判を呼び、やがては公権力による介入など、深刻な事態を招く。
 読者から「新聞と週刊誌で会社が別だといって他人事の顔をするな」との声も数多く届く。
 この過ちをわが問題と受けとめ、社会の期待に応える報道とは何か、足元をかためて、その実現に取り組んでゆきたい。  

日中国交正常化40周年
2012/09/29(土)
 40年前の今日、田中角栄と周恩来が力強い握手を交わした、日本と中国の国交が回復したときの映像が懐かしく思い出される。そして現在、尖閣諸島を日本が国有化したことから、中国政府主導と思われる反日デモ、監視船による領海侵入、国連での日本への激しい非難で、中国は世界に向けて、釣魚島は歴史的、法律的に自国のものだと、さまざまな手法を矢継ぎ早に駆使し、正当性をアピールしている。ここに至り、日中関係は戦後最悪の状況と化している。この状況を作り出したのは、やはり、日本の民主党政権による稚拙な政治による結果だとしかいいようがない。民主党が政権を取った当時から内政もそうだったが、外交面で、特に重要なアメリカ、中国、韓国、ロシアとの関係をどう考えているのか、という基本的姿勢と将来構想が皆無であったため、何かとその場での思いつきによる対応に終始し、墓穴を深く掘り進めることになった。普天間基地移転に関わる日米同盟の考え、そして、北方領土、竹島、尖閣諸島に関わる領有権主張への戦略など、何も考えていなかった。今回の尖閣諸島に関する国有化は石原東京都知事に対抗するために、急遽取った「平穏かつ安定的な維持管理」として実行したものだったが、中国の猛反発を招き、中国がおそらく相当以前から作成していた「釣魚島奪還シナリオ」を着手させる口実にさせてしまった、ということだろう。ウラジオストクで胡錦濤国家主席が野田首相に対して、「国有化しないよう」強く求めたにもかかわらず、2日後に野田首相は国有化の閣議決定するという、胡錦濤の顔に泥を塗る結果となった外交センスの無さが直接の引き金になったとされている。日本国民のひとりとしては、日本政府の「尖閣諸島は日本固有の領土であり、領土問題は存在しない」という主張は理解したい。しかし、問題はそれを主張するうえでの戦略であろう。民主党の政治家には、人の痛みをわかり、人を動かすという一番肝心な人間としての深い洞察力を持った人材が皆無だったのが、不幸な政権交代の始まりであった。
 40年前、中国と国交を回復して間もないころ、東京都主催の中国語(北京語)講座があって、私の妻がそれに参加し、それ以降中国語を学び続け、9年後、海外青年協力隊による天津留学に応募し、1ケ月滞在した経験を持っている。当時の中国は文化大革命も収まり、貧しいながらも安定した国情だったようだ。中国国民は、日本人は敗戦後、悲惨な生活をしていると教えられていたようだ。まだ、人民日報の壁新聞しかなかった時代には日本の実際の様子を知るすべもなかった。日本にはいろいろなものがあり、給料は中国人の何倍もあって、物価も高い、などと日本の発展した様子を知り合った中国人に伝えると驚いていたという。この時代の中国人と先日の反日デモで破壊や略奪行為をした中国人は、まるで別の人種のようだ、と妻がいう。
 日中国交回復には、周恩来始め、戦前の日本留学経験者が大きな役割を果たしたことが大きい。彼らは日本語を話し、日本人の心を理解していたのだ。戦後、砂の一粒一粒を積み上げていくように、関係の修復を図ってきたのだ。政治形態や国民性が異なる以上、全く相容れることは不可能かもしれないが、領有権問題など根本的に解決不可能な事案には、曖昧な対応で牽制しながらも、本格的な喧嘩はしない、という賢者の選択をしてきたのだ。それが今回の突然の日本による国有化で積み上げられた砂の山は一挙に踏み潰された。事前の根回しや工作も何もしないで、釁端を啓く結果になったことが何とも残念だ。この事態を収めるには、地道な砂の一粒一粒をまた積み上げることから始めるしかない。韓国との関係も同様である。アメリカはどこかで日本を大して役に立たない厄介者と思っているはずだ。すでにアメリカは中国と深い関係を築き上げてしまっている。いざとなれば、アメリカも中国も日本を犠牲にする腹積もりはできているだろう。強気でもなければ、弱腰でもない、日本が選択すべき道をじっくり見極めていくしかない。さりとて、病み上がりの元首相の党首に代わった自民党や国政経験のない日本維新の会が本当に日本を適切にリードできるという保証は何もない。暗澹たる気持ちでことの成り行きを見守るしかない最大の犠牲者は、無垢な日本国民である。

一瞬の原発ゼロ
2012/06/19(火)
 5月5日に北海道電力泊原発3号機が定期検査のため発電を止めて、42年ぶりに日本にある原発54基がすべて停止したことになった。「3.11」からすでに1年3か月あまりが経過した。フクシマの原発事故が全世界へ大きな問題提起をしたが、発生源の日本では原発について何が議論されてきたのだろうか。大企業やそれに後押しされた政府は、「原発再稼動」が一致した結論のようである。野田首相は、今月8日記者会見を開き、福井県の関西電力大飯原発3、4号機を「国民生活を守るため」早期の再稼動が必要だと判断したと明言した。地元自治体もこの発言を受け入れ、再稼動を容認した。7月中に両機が再稼動することとなった。枝野経済産業相が4月の会見で、国内で稼動する原発が「一瞬ゼロになる」と発言したことが物議を醸したが、泊原発の停止から大飯原発の再稼動まで首相の「政治判断」は1カ月少し、実際の稼動でも2カ月あまり、これは確かに、国民の目からすれば「一瞬のゼロ」の出来事であったことには違いない。
 この一連の国の動きは、景気低迷のさらなる追い討ちを恐れる経済界主導の判断だろう。また、核技術力の維持という防衛論的な意味合いもあるだろう。世論が正しいとは限らないが、世論とはかけ離れた、大いに違和感のある動きだ。国民にいたずらに迎合しない冷静な判断と対応が政治には大切なことだ。しかし、現在の日本政府、政治家は深い認識と議論をすることなく、一番安易な「現状維持」を選択しようとしているのだ。選択とか判断ではなく、思考停止状態での結論といっていいだろう。
 ドイツに続いて、スイスや台湾でも新たな原発は作らず、徐々に停止していき、太陽光や風力などの再生可能エネルギーへの方向転換をしていく脱原発を決定している。政治がこうした重要な判断をしなくて一体何が政治の役割といえるのだろう。今回の判断には、日本のエネルギー政策の中で原発をどういう位置づけにしていくのかという基本的ビジョンもない。ただ、なし崩し的に原発を再稼動させ、再生可能エネルギー開発もついでにやりますよ、という程度だ。
 原発立地の自治体では、交付金や雇用の面で支配され、屈辱の「再稼動イエス」を余儀なく言わされているに過ぎない。沖縄の軍事基地と同様、負の財産を背負わされ、他の国民に「安全で便利な生活」を提供しているのだ。国民やマスコミがこの事態を看過してしまうようでは、日本の未来がほんとうに危ない。「いつか来た道」は、政府の強引さとこうした国民の容認によって、その姿を再び顕在化させてくることだろう。馬脚が目に見えてきたときには手遅れとなるのも歴史が示している。橋本大阪市長のトーンダウンが、あらゆることを物語っている。
 改めて、「もう原発はいらない」、そして、「それでも豊かに暮らしてみせる」と言いたい。「真の豊かさ、幸福」とは何なのか、を考え続けていきたい。 

一周忌と放射能
2012/03/11(日)
 今日であの日から丸一年となる。つまり、一周忌である。遺族にとっても全国民にとっても、大事な一周忌である。東日本大震災は、阪神淡路大震災のときとは違う津波の恐ろしさを目の当たりにした。その津波は千年に一度の大津波となり、その破壊力と恐怖感は、繰り返される映像を見るだけで私たちにも想像がつく。しかし、一瞬にして二万人近くの家族の命を奪われ、あらゆる財産を瓦礫にされてしまった被災者たちの深く傷ついた心のうちのすべてを計り知ることはできない。しかもそのうえに、福島第一原子力発電所のメルトダウンと水素爆発による前代未聞の放射能汚染の大事故が起きてしまった。放射能のためにふるさとを追われ、異郷の地で拠りどころのない生活を強いられた人々の心情は想像を超えている。仮に、今回の災害が地震と津波だけだったら、一年後の今はかなり様子が違っていたのではないか。これに原発事故が加わったことで、それまでのあらゆる自然災害とは比較にならないほどの困難さに直面し、復興への道すじをさらに遠いものにしている。

 今回の大震災がさまざまな角度から検証がされ、テレビでも次第に多くの時間を「一年」という節目で捉えている。東京電力や原子力保安院の原発事故に対する皆無と言っていいほどの無策ぶり、民主党政権の狼狽ぶり、マスコミの無力感など批判の対象となるべきは、彼らも含め、私たち国民一人ひとりにもあるのではないか。ここでは、放射能に汚染された瓦礫処理をどうしたら被災地以外の地方で受け入れられるかの一点で考えてみたい。全国民の問題としてこの瓦礫処理を成し遂げなければ、東北の未来も日本の未来もない、といっていいほどの象徴だと思っている。私たちは、どこかで腹をくくって、何としてでも放射能で汚染された瓦礫を受け入れねばならないはずだ。その前提として、日本政府にやってもらいたい最低限のことがある。
 瓦礫処理の受けれを拒否する住民はなぜ拒否するのか、政府も自治体もわかっているようでわかっていない。何ベクレル以下だから大丈夫だと言われて納得する住民はいない。東京電力は当然のことながら、日本政府や自治体が、そして、日本の学者や医者がいくら声高に安全だと宣言しても、国民は全く信用していない。今回の原発事故は、国民の心をそいういう疑心暗鬼のかたくな気持ちにさせてしまったのだ。石原東京都知事のように豪腕で押し切ってしまうのは格好はいいが民意を反映してはいない。国民を納得させるには、放射能による健康被害の世界共通の基準を世界の専門家によって早急に作り上げてもらう必要がある。WHO(世界保健機関)などに日本政府は働きかけるべきである。国際放射線防護委員会の勧告による数値ではなく、具体的にどれだけの量の放射線を被爆したら、時間的、年齢的などの要素で身体各部への影響がどの程度あるかなどを世界の英知を集めて、明確にする必要がある。そして、何シーベルト以下であれば健康に全く影響もなく、遺伝子異常を起こす心配もない、と世界基準を確立し、国連で公表してほしい。これから何十年もの時間をかけての動物実験や人体観察の結果を待つことはできない。チェルノブイリやスリーマイルのデータを生かして、今、全世界が納得できる基準を決めるのだ。そうでなければ、日本人は一歩も前に進めない。国家を運営する能力のない今の日本政府や政治家にできることは、そうした働きかけをすること、それぐらいしかない。日本国民は、信じるに足るものが必要なのだ。それは、残念ながら今の日本にはない。信じることができれば、前に進むことができるはずだ。そして、国民は世界基準で健康に問題ないとされた微量の放射能が残った被災地の瓦礫を受け入れたとき初めて、真の絆が達成されたことになるはずだ。

  日本国内にある54基の原子力発電所のうち今稼動しているのは、2基、それもまもなく点検のために停止する。再稼動には地元住民の合意が必要で、その見通しは立っていない。枝野経済産業大臣が、昨年官房長官のとき、「メルトダウンはない」と言っていたことが承知のうえのウソだとわかった。作成されなかった議事録ではなく「議事概要」で「炉心溶融の可能性がある」と11日夕刻には東京電力から報告があがっていたという。そして、経済産業大臣になった枝野さんは、今、原発再稼動を推進しようとしている。福島第一原発周辺の住民をいち早く的確な方向に避難させるどころか、事実を隠蔽し、現地住民には多量の放射線を浴びせさせ、国民をウソの情報で混乱に落としいれ、それでもなお原発を使おうというこの感覚は、一般国民から全くかけ離れてしまっている。国民の心をかたくなにさせてしまった大きな要因はここにあるのだ。一年経っても基本的に何も復興していないのは、地震発生当初から一年が経過する現在に至るまで、自然災害によってではなく、人災によってのみもたらされたものだということを改めて認識し、脱原発を目指すしかない。原発は使わなくても放射能管理は永遠に続く。会津藩士の什の掟に加えるならば、「一、原発は造っても使っても、いずれもなりませぬ、ならぬことはならぬのです」となろうか。人として、してはならないことは、理屈ぬきでしてはならない。物質的な豊かさを最優先してきた日本国民は、一周忌を機に方向転換しよう。さまざまな矛盾も出てくるが、国民は大きな代償を払ってでも、脱原発の新たな道を模索して進むしかない。そうすることを改めて覚悟しなければならない。きっと日本人ならできる、と確信しているから。    

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