2016

生前退位
2016/08/08(月)
 8月8日午後3時から10分ほど各局テレビで、今上天皇が異例のビデオ・メッセージ「お気持ち表明」により、「生前退位」の意向を明確に表明した。終戦時の昭和天皇による「玉音放送」にも匹敵しそうな天皇によるメッセージである。
 先月から飛び交っていた「生前退位」を希望する旨の伝聞を現実のものとする、かなり踏み込んだ力強い内容だった。
 「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。」
 「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。」
 現行憲法に基づく「象徴天皇」をいかに強く意識してこれまで職務を行ってきたか、その強烈な思いがにじみ出ている。
 そして、肝となるのはここの部分であろう。
 「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。」
 天皇は、「高齢を理由にその職務を減らすのは象徴天皇の放棄だ。まして、摂政など意味がない。」と、そう明確に述べているのだ。これには驚きを感じるほどの強い決意表明だ。
 また、生前退位がされない場合の悪影響を述べている。
 「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。」
 昭和天皇のときも重篤の状態から崩御後もかなりの期間、国民の間にさまざま自粛ムードが広がったことを今後も懸念していると思われる。
 そして、最後に憲法第4条(天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない)にも触れ、
 「憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。」
 と、あくまで「象徴天皇」として、全力で職務遂行できなければ、天皇である意味がなく、安定継続できる国民のための皇室システムが必要であるとの思いだ。憲法に抵触するような発言に結果としてなったとしても表明せずにはいられなかった、そういう切々とした気持ちが伝わってくるものだった。
 天皇のメッセージからしばらくして、安倍首相のぶら下がりの形式の会見で天皇のメッセージを受け、「重く受け止めています」「どのようなことができるのか、しっかりと考えていかなければいけないと思っています」とあたり障りのない反応にとどめた。天皇からの先制パンチを憲法改正発議を可能にした安倍政権は、どのように対処していくのか、今後が見ものである。今上天皇に限っての時限立法化か、皇室典範の根本改正か、その両方かになっていくのであろうか。
 いずれにしても、男系天皇を維持したままの制度では、単純に考えれば、秋篠宮家の悠仁親王が結婚して男子を儲けなければ天皇家は滅亡する。悠仁親王は現在9歳、どうなることであろうか。
2016/07/14(木)
 俄かに、この「生前退位」という耳慣れない言葉が昨日から飛び交っている。明仁今上天皇が、皇室典範の規定にはない、生前のうちに皇太子に皇位の継承を希望していると伝わってきたため、国内外で大きな波紋を呼んでいる。82歳の高齢であることや昨年のパラオ訪問など戦後70年の節目の締めくくりをした達成感など理由はさまざまに考えられる。どうしたら良い形で象徴天皇としての皇位を継承できるのか、天皇ご自身が最も苦悩していることだと想像される。穿った見方をするならば、最近の安倍政権の憲法改正の動向が少なからず影響を与えているのではないかと感じる。現行憲法と自民党憲法改正草案の「天皇」について、比較すると、何となく見えてくる気がする。
 (現行憲法)
 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
 (自民党案)
 第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
 自民党案では、明確に天皇を「元首」と謳い、現行憲法は「象徴」であることを強調している。自民党案は、天皇を国家主義の旗頭として利用しようとする意図が見える。今上天皇は、あくまで「象徴天皇はいかにあるべきか」を悩み続け、試行錯誤して、現行憲法の真意を貫こうとしていると想像できる。元首などという国家の権力者のトップの座に名目でも置かれることなど望むはずもない。元首と明記せず、象徴と強調する現行憲法の清々しさに戦後の憲法公布時から日本国民は敬意を払ってきたのである。自民党改正案はこうして一事が万事で油断も隙もない。主権者たる国民は目を凝らして評価する必要がある。
 さて、皇位継承について、生前退位を認めて実行する場合の問題点はすでにいろいろ指摘されているが、あと100年もすれば天皇制の意味すらなくなってくるはずである。そのとき、日本はどのような統治機構が相応しいのか、現在から十分に検討しておく必要がある。あくまでも国民主権であることの実質、すなわち、国民それぞれ個人の尊厳が守られなければ、天皇制であろうと大統領制であろうと意味のない社会になる。今回の「生前退位」の意向流布は、現行憲法の良さを破壊する安倍政権への天皇からの挑戦状だと思いたい。

改憲派勝利の参議院選
2016/07/11(月)
 7月10日に実施された参議院選挙は、時代の大きな節目となる結果をもたらした。自民党、公明党の与党および与党に近いおおさか維新の会が公示前より議席を増やした。そして、日本のこころを大切にする党や与党系無所属の非改選議席を合わせると、改憲派の新勢力は165議席となり、参議院で憲法改正の発議に必要な3分の2である162議席以上を達成することになり、衆議院とともに、憲法改正への道筋が確定したことになる。

 この結果は、すべての有権者である国民が投票し、あるいは棄権した総意に基づくものであり、心して受け止めるしかない。安倍首相は「すでに(憲法改正の)自民党案は示してあり、憲法審査会で与野党に審議してもらえばよい」と本音をすでに露わにしている。選挙期間中は、自民も公明も「憲法改正」を争点にも話題にもせず、国民の最大関心事である、景気回復や社会保障を前面に出し、乗り切った感じだろう。安倍さんは自民党総裁の残り2年の任期の中で憲法改正を実現させる意気込みである。自民党案を主として、推し進めるのかどうか、またしても、公明党がキャスティング・ボードを握っており、「加憲」という発想で憲法を改正したいようだが明確な条文案は示されていない。すなわち、公明党は自民党案を否定する可能性はあるため、衆議院と参議院で公明党が反対すれば、憲法改正の発議はなされることはない。いずれにしても、改正発議に向けての具体的な動きが公けになっていくことは確かであり、国民は括目してその内容の意味するところを判断し、将来に禍根を残さない選択をしなければいけない。イギリスのEU離脱に追い込まれたような間違った判断はできない。国民の意識の高さが重要となる。自民の憲法改正案とQ&AのURLは下記のとおりなので、じっくりと読み込んでもらいたい。そこにどんな意図があるのか、日本の将来像、若者たちはどうなるのか、想像してもらいたい。
 自民党憲法改正推進本部 日本国憲法改正草案 http://constitution.jimin.jp/draft/
                  改正草案Q&A http://constitution.jimin.jp/faq/

オバマ大統領の広島訪問
2016/05/27(金)
 現職のアメリカ大統領として、バラク・オバマ氏は原子爆弾の被爆地、広島を初めて訪問した。アメリカ国内のこれまでの「戦争を早く終結させ、これ以上アメリカ兵を死なせないため」という原爆投下を正当化する世論が主流だったものが、若い世代を中心に変化してきているようだ。「原爆によって一般市民を無差別に殺戮したことは、非人道的であり、間違った決定だった」という意見が増えている。核兵器廃絶を訴えてノーベル平和賞まで受賞したオバマ大統領は、この広島訪問は避けては通れない最後の仕事のひとつだったはずだ。広島・長崎の被爆者の8割は「謝罪は求めない」としていた。この被爆者の気持ちはひじょうに重いものだ。
 そして、伊勢志摩サミットG7の後に、オバマ大統領は広島の地を踏んだ。平和記念公園に到着後すぐに、原爆資料館を見学し、安倍首相とともに、慰霊碑の前で献花をした。わずかの間だったが、黙とうした。頭を下げず、黙とうしたのはアメリカ国民への配慮と日本国民への哀悼の意との熟慮の結果だったのであろう。そして、所感を述べた。
 「この空に上がったキノコ雲のイメージのなかに、私たちは人類の矛盾を強く突きつけられます。私たちを人類たらしめている思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして、私たち自身を自然から区別し、思いどおりに自然を変える能力。そういったものが、私たちに度を超えた、大きな破壊力を与えるのです。」
 「広島の中心にある、この場に立つことで、原爆が落ちた瞬間を想像せざるをえません。私たちは、あの日、目にした光景に恐れおののき、困惑した子どもたちの気持ちに、思いをはせなければなりません。私たちは、彼らの悲鳴にも耳を傾けます。あの酷い戦争、その前に起きた数々の戦争、そして、あの酷い戦争 の後に起こりうる、あらゆる戦争で殺害された、罪のないすべての人たちのことを思います。」
 「私たちは、人間が悪を行う可能性を完全に消し去ることはできません。だからこそ、国家と、それらの間で結ぶ同盟は、自分たちを守る術を持たなければならないのです。しかし、わが国アメリカのように、核兵器をみずから持つ国は、恐怖の論理から脱する勇気を持ち、核兵器のない世界を追求しなければなりません。」
 「ここ広島で、世界は永遠に変わってしまいましたが、きょう、この町の子どもたちは平和な日々を過ごすことができます。それはなんと尊いことでしょうか。それを守り、すべての子どもたちに広げていくべきことです。それが、私たちが選択しうる未来です。広島と長崎を核戦争の始まりとして記憶するのではなく、私たち自身の道徳的な目覚めにしなければならないのです。」(NHKホームページより抜粋)
 オバマ大統領のメッセージは広島市民、日本国民はもとより、全世界に向けての核兵器や戦争の悲惨さ、矛盾を歴史的見地からも述べ、核兵器のない理想の世界を諦めない、理知的で聡明な改めての決意表明の内容のものだったと感じる。初めての訪問がこれで最後とならぬよう、オバマ大統領は後任の大統領に必ず訪問するよう習慣化してもらい、各国のリーダーたちにも広島を訪れることを勧めてもらいたい。
 今回の広島訪問は、日本側の抑制の利いた対応がよかったと感じる。謝罪を求め、声高に叫ぶよりもはるかに、効果的であり、日本が寛容の心を見せたのは、今後の世界平和に向けてのリーダーシップを図ることができる重要な一日だったと思う。
 
広島平和記念公園で献花をするオバマ大統領
 
献花後、黙とうした
 
原爆死没者慰霊碑の前でスピーチが行われた
 
被爆者代表のひとりと抱擁するオバマ大統領

東日本大震災から5年
2016/03/11(金)
 3.11から5年が経過した。一体この5年で日本の政府および国民はこの大震災から何を学び、何を生かしてきたというのだろう。震災の地を訪れたことはないが、報道などで垣間見る5年間の姿は、部分的には復興予算により形は整えられつつあるように表面的には見える。しかし、人口は減少し、以前の暮らしぶりからほど遠く、魂の抜け殻のような新しい建物が点在しているだけだ。そこに人の息遣いは伝わってこない。かえって、仮設住宅がすでに根の張ったコミュニティの場となっているようだ。被災者の苦労と苦悩は、それぞれのかたちで、まだまだ続き、果てしがないようだ。
 そして、被災者以外の私、私たちは日々の生活や自分のことで手一杯となり、3.11を忘れまいと思いつつもその比重は軽くなっていく。多分、あらゆる事象に対してもそういうことなんだろう、と思う。巨大な津波を目の前にし、家族や友を失ったり、未だに故郷にも帰れない、そうしたことを自分が経験しなければ、遠ざかる一方である。だから、せめて、津波や原発事故の現場に自分がいたら、どう感じ、どう思うだろうと想像を巡らすことは、せめてこの日には、忘れずにいたい。そして、5年経った今、被災者は何を思っているのだろう、ということも。
 5年という歳月は数字上の一区切りだけであり、復興に対する予算面でも心のケアについても打ち切る区切りにしてはならないはずだ。復興庁の計画では「集中復興期間」はこの3月末が期限で、復興公営住宅の建設などはまだ続くが、地元の負担が増えるようである。しかし、5年後には復興庁自体も解散してしまう。
 解決が見えず困難さを増すのは、福島だ。福島第一原発事故による避難住民は、1年後を最終に避難指示の解除を受けるだけで、復興の具体的な内容はほとんど計画もされていない。原発の廃炉には40年間ですら、可能なのかどうかも不透明であり、避難指示の解除は、ただ単に、住民に最終的な判断を委ねるだけであって、国が責任を持って、フォローする態勢は確立してはいない。時々、自宅に戻り、家の様子を見たり、墓参りする老夫婦の姿がテレビに映し出されていた。放射能汚染が高いため、思い出のアルバムも持ち出すことができない。放射能汚染による影響が一体どこまで、どんな態様で人や環境に及んでいるのか、その広範囲でかつ緻密な調査や研究も必要であろう。福島の原発事故の全体像を日本国民や世界各国へ伝え続けなければならない。
 阪神淡路大震災では、5年後には仮設住宅がなくなり、10年後にはほとんど見かけ上の復興はなされた。しかし、東北の場合には、現在なお仮設住宅や民間賃貸などへの避難者が18万人近くもいるのだ。安倍首相は動画を作成させ、復興が順調に進んでいる、と恣意的に思わせる様子を自分がほんのいっとき訪れた場面を差し込み、まるで北朝鮮のプロパガンダ動画の如く演じている。NHKの最近のアンケート調査では、復興状況について、「想定よりも遅れている53%」「進んでいる実感が持てない32%」と感じているという悲鳴に近い結果であり、県民ごとでは「実感が持てない」とした福島県民が50%と、岩手・宮城の18%より、圧倒的に高い数字を示した、これが真実の気持ちであろう。
 民主党政権の時代に震災が発生し、右往左往し、自民党政権に戻ってからは、原発の再稼働や原発の海外輸出に力を入れ、震災復興の東京五輪という名目で時間と金の無駄遣いをし、真の復興はますます遅れ、安倍政権のやりたいことだけが、力強く突き進む震災後5年の現状である。残された被災者は、絶望に向かう人は増えても希望を持てる人は極端に少なくなっているのだろう。今の政府でも、おそくらく他の政党による政権でもこの絶望感を断ち切ってくれることはないだろう。暗澹たる気持ちは5年前と同じだが、国民一人ひとりがさまざまなかたちで支援を続け、少しの希望であっても、それをより膨らます気持ちを持ち続けていきたい。人は希望があれば生き抜く力が湧いてくるものだ。だから、多くの人々が3.11を忘れないことで、その希望につながるものだと信じていたい。


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