2019

平成から令和へ
2019/05/01(水)
 昨日4月30日に天皇を退位した明仁上皇は、ついに「生前退位」を成し遂げ、平成の時代に幕を下ろした。そして、今日から令和が始まり、徳仁天皇が誕生した。私の世代では、天皇といえば昭和天皇のことであり、皇太子といえば、明仁殿下であった。そして、昭和天皇の崩御による皇位継承で代替わりし、ようやく慣れてきたところで今回の即位である。新天皇陛下は世代も近いこともあり、親しみはあるが、歌舞伎の中村勘三郎といえば、現在の勘九郎のおじいさんであり、勘九郎といえば先に亡くなった勘三郎のことを思い浮かべるのといっしょだ。いきなり「天皇陛下」とテレビで言われても「浩宮さま」という発想するのが私の世代だ。新元号とともに新天皇陛下にも慣れ親しんでいくしかない。
 この生前退位という「事態」はかなり厄介な問題を孕んでいる。まず、退位して上皇となった先の天皇は、いったい何ができるのか、そして、何をしてはならないのか、何をさせてはならないのか。日本国民の感情としては、象徴天皇を模索し、懸命にハードな公務を全うしてきた上皇及び上皇后陛下にはゆっくりと休んで好きなことを自由にしていただきたい、とは思う。しかし、退位後の行動のひとつひとつが注目され、マスコミ報道やネット社会に追われることは必至である。また、さまざまな団体等から声がかかるはずであり、現にそういう動きがある。また、韓国の文在寅大統領は「退位後も両国関係の発展のために力を尽くしていただけるよう期待する」と書簡を送ったとされる。これは最悪の日韓関係の中で完全に政治利用される状況であり、あってはならないことだ。二重権力構造的な雰囲気を醸し出してはならない。そのひとつひとつについて、ご本人と周囲が慎重に判断することになるだろう。
 そして、新天皇の次の天皇は、いったい誰が継ぐのか、ということだ。もちろん、皇位継承順位から秋篠宮皇嗣、悠仁殿下、常陸宮殿下の順となるが、6歳しか違わない秋篠宮皇嗣が例えば30年後に83歳で天皇を実際に継ぐことなど全く現実的ではない。悠仁殿下が継ぐのが最も現実的であろう。しかし、現行の皇室典範では許されないことだ。現政権は、今回の生前退位は認めたくはなかったが、天皇(現上皇)の意思と国民の支持により、やむなく受け入れた形となった。そして、新天皇も生前退位を選択したいとか、皇嗣が皇位継承を拒否するなどの事態に発展すれば、現行の皇室典範に基づく天皇制は崩壊してしまう。そして、女性天皇や女系の天皇を認める議論を再開するのか、それとも最終的に天皇制を廃止するのか、急を要する状況になっている。20年や30年はあっという間に経過してしまう。
 多くの国民は、皇室という特別の存在を大切に思い、喜びや悲しみをともに受け止めてくれる他にはない極めて稀な存在だと感じている。同じ人間として考えれば、こんな非人道的な檻のない監獄の状態で一生を過ごさねばならない不条理さは耐えがたいものかもしれない。しかし、それを真摯に受け止め、国民のために生きてきた上皇や上皇后を尊敬し、新天皇夫妻や皇室の人々を国民が慕うのはごく自然なことであろう。それ故、長い時間をかけ、現実的な対応を考えていく議論が必要となっている。今回の退位と即位は、あまりにも重い宿題を投げかけたのだった。
 
 

国民栄誉賞
2019/04/05(金)
 マリナーズを、そして、プロ野球人生を引退宣言したイチロー選手に国民栄誉賞を授与しようとした安倍政権は、あっさりと3度目の拒否に遭った。実に、爽快な話である。今回の拒否の理由としては「人生の幕を下ろした時に頂けるよう励みます」ということだった。つまりは、そんなちっぽけな日本の内閣総理大臣による「栄誉」など生涯クソ喰らえ、ということだろう。イチローはあくまで現役で50歳を目指していた。引退会見でも言っているように「その表現をしてこなかったらここまでできなかったかもなという思いもあります」なのであって、中途半端で恣意的な「これまでご苦労様」的で国家的なご褒美など微塵も欲しくはないのだろう。引退会見前の球場のファンの熱狂的な声援こそが、イチローにとっての何よりの「栄誉」だったにちがいない。それが「後悔などあろうはずがありません」と言わしめた。もちろん、イチローはこの日本の英雄であり、いかなる賞や栄誉を授与してもその功績は余りあるのだろうが、そんなものを甘受しない潔さもまた真のヒーローらしい姿と受け止めたい。国民栄誉賞というものが、いかに時の政権による人気取りにしか過ぎない陳腐なシロモノだということを改めて知らしめてくれた、イチローらしいレジスタンス表現であったのかもしれない。赤恥を掻いた、時の政権の滑稽さを笑ってあげたいものだ。

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