2011年04月13日

名残の桜その2

 今日もよく晴れたので、また名残の桜を求めて彷徨いました。ほとんど訪れたことのある場所ばかりですので、やはり、感動が薄くなりますね。でも、この桜とも一期一会かと思えば、いとおしく感じられるので、何とかシャッターを切ってみます。
 
 間接的にいろいろな人の大震災の話を耳にすることが増えてきます。ある人は、東北の地元から一時離れているときに、この地震と津波で親戚一同48人を亡くし、戻ってからは連日葬式と埋葬にかかる手続きの日々だったそうです。東京の千代田区は、他の区よりも揺れが激しく震度6弱を記録し、大画面テレビと家の食器をほとんど壊してしまったとか。冬場はこちらに来ているおばあちゃんの大船渡の家は無事だったのだけど、4軒先は津波で何もなくなったとか。
 3万人近くが亡くなり、20万人近くが避難しているこの大災害の被災者にとって、それぞれの人に様々な人生の軌跡があり、語りつくせない物語があるでしょう。ニュースではもう個人の名前も出ることはなく、「死者行方不明者27000人・・・」と報じられるだけになっています。改めて、亡くなられた人のご冥福を祈り、避難生活を余儀なくされている人の普通の生活への復活を強く念願します。
 政府関係は、復興へ向けての迅速な動きが全く滞っているので、民間のパワーを期待したいですね。100年に一度の経済危機にも対処できなかったものが、1000年に一度の大災害に適切な対応ができるわけがありません。既成の考え方や法律に縛られない自由な発想がないとこの難局は乗り越えることができません。ベンチャービジネス的な大胆なセンスを必要とするときです。本質を見極める高度なセンスととてつもない決断力が要求されているときだと思います。(EOS 5D)

お地蔵さんの向こうに桜があった

お寺の鐘楼にかかる桜

相模原公園の「森の木展望台」

子どもを抱くお母さんは、どこまでもやさしい笑みをたたえている

散り始めた桜の花を高く抱いている

ネモフィラが青く眩しく輝いていた

絞りの椿の花がいくつも落ちていた
木に咲いているよりも美しい、と感じた

最期に再び桜
風に少しばかり舞う花びら
間もなく、そのすべてを見事に舞って見せてくれるだろう