2011年08月23日

処暑の蝉

 暦のうえでは立秋もはや過ぎ去り、今日は二十四節気で「処暑」である。処暑とは、暑さがやむ、という意味。先週の日本列島は35度を超える猛暑、酷暑の連続であった。それが一転、豪雨となり、渇ききった大地を潤した。地方によってはゲリラ豪雨となり、多くの水害をもたらしていることも確かだが、こちら神奈川ではこの数日の雨がやや落ち着きを取り戻してくれたようだ。
 しかし、それも束の間、容赦ない暑さが、復活しようとしている。地球の温暖化が言われて久しいが、日本は温帯気候から亜熱帯地方の気候に近くなってきているのかもしれない。夏の夕立といえば風流にも聞こえるが、叩きつけるようなどしゃ降りのスコールでは、あまりにも和の風情からは遠い。南北に長い日本列島のことだから、気象もかなりの差異があろうが、古来日本の空模様は、豊かな実りとともに、たぐいまれなる繊細な文化をもたらしてくれた。
 四季折々の微妙な変化の中にもののあわれと相俟って、詩歌、絵画、文学、工芸などに大きな遺産を残してくれた。これからは気象の変化とともに育まれてきた文化も変わらざるを得ないのだろうか。
 泉の森は、この晴れ間を待っていたとばかりに、セミが一斉に大きな声を上げて鳴いている。「蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)」という四字熟語があるが、これはカエルやセミのようにやかましいばかりで役に立たない意見や議論のことをいうが、カエルやセミにとっては余計なお世話である。
 セミは5年以上の歳月を地中で過ごし、二週間前後の成虫期間をこの時期に地上で謳歌する。子孫を残すべく彼らは必死になってつれ合いを求めているのだ。その尊い行為を「やかましい」とひと言で蹴散らしてしまうのは、人間の驕りとしかいえない。このやかましくも愛すべき響きを、来年も過不足なく聞きたいものだ。(EOS 7D)

空蝉
源氏が愛した空蝉も薄衣を脱ぎ捨てて去ってしまった
空蝉も三人は多すぎる

アブラゼミとともに暑い夏を演出するミンミンゼミ

アブラゼミもこの羽で千年前も生きていたはず