2011年11月20日

昔の暮らし

 いつもの泉の森の公園には古民家園があって、江戸中期から末期の農家住宅が移築されたものが2棟あります。私の子どものころ、隣りの家は父の長兄が住む本家宅や近所が古民家園のような大きな藁葺きや茅葺きの農家でした。
 私の家は、父が県庁の下級役人で長兄に建ててもらった小さなトタン葺きの粗末な建物に住んでいました。囲炉裏はなく、かまどのある土間で煮炊きしていた時期がありました。井戸の水を手押しポンプで汲み上げ、あらゆることに使用していました。まだ、電化製品は白熱電球以外では、真空管のラジオしかない、という今では考えられないような暮らしぶりでした。
 多少の贅沢といえば、ヤギを1頭飼っていて、その乳を搾って暖めて飲み、ニワトリも4、5羽いて、毎朝のように玉子かけご飯が食べられたことでしょうか。そんな暮らしぶりが、小学校にあがるまでの昭和30年代半ばぐらいまで続き、テレビや洗濯機、やがて、プロパンガス、冷蔵庫が次々と我が家にも登場してくるようになり、生活はどんどん便利になっていきました。
 私が経験したテレビが普及する前までの最後の質素な生活は、もしかしたら、ブータン王国の暮らしにやや近いのかもしれません。もちろん、気候や食べ物、建て物などかなり異なるのでしょうが、江戸時代と大して変わり映えしない私の子どものころの生活の視点は、多くは望まず、清く暮らすことが根本であったような気がします。
 そんな精神をブータンの人々は未だに実践しているのですね。近代化と伝統的暮らしをどうバランスを取って今後を治めていくか、来日してさわやかな旋風を巻き起こして、今日去っていった若きブータン国王夫妻に夢を託してしまいたくなります。日本を含む多くの病める高度経済成長国が負の連鎖に陥ってしまった現在、昭和30年代以前に逆戻りはできないものの、ブータンが目指す真の幸福追求の哲学を学びたいですね。(EOS 7D)

茅葺きの屋根は上等な農家住宅だ
ふつうは腐りやすい藁葺きが多かった

縁側に障子が懐かしい

タマネギをこうして軒先に干して保存したものだ

トウモロコシも同じように吊るした

竹で編んだ背負いカゴは、ヤギのえさ用の草を刈って母が背負った

我が家には囲炉裏はなかったが、この鉄瓶はよく使った

かまどで使った焚き木の燃えカスを消し炭として、この消壷に入れて再利用した