2012年07月17日

梅雨明け、円覚寺

 朝の天気を見て今日の行動計画を立てます。ピーカンの夏空となった今日は関東初め多くの地域で梅雨明けとなりました。先日の横浜に引き続き、復帰第二弾はもちろん鎌倉です。横浜と鎌倉は神奈川県に住む私には最高の被写体が埋蔵された場所です。そして、鎌倉はこれまで何度も訪ねてきました。
 また、鎌倉の中で私にとっての原点は円覚寺です。高校生のころから読み始めた夏目漱石の小説、「門」を始め、いくつかに登場する円覚寺は、屈折し心病む主人公に自分を重ね合わせ、安堵の地としてこの寺を位置づけていた気がします。円覚寺は山門(三門)がことに素晴らしい。この山門をくぐるために私はここに来るのかもしれません。この山門を前にするとこの先は俗世のしがらみを捨て去ることができるような気がします。今となっては身軽な私もこの山門を通り世俗の垢を少しでも取り去りたいと思うわけです。
 このごろはいじめの問題や原発政策への不信感など本来、相談する相手、頼るべき相手が全く信用できないという最悪の世情となっています。少なくとも公のために仕事する教師や公務員、議員、また大企業に勤務する人間は、自分や自分の組織よりも国民を守ることを真っ先に考えるべきはずが、そうではなくなっています。彼らは、自己利益と現状維持のみために、今の大きな流れに拮抗しようとしています。国民の大きな意思がNO!と言っている今の静かで大きな、そして確かな流れの中で、国や大企業は早く悟るべきでしょう、今がターニング・ポイントなんだと。今、考えを改めないと未来に禍根を残すことは必至でしょう。(EOS 7D)

円覚寺の山門
この門を目前にするだけでスイッチが入る

清楚で堅牢な美しさだ

山門はとにかく凛として美しい

漱石もこの階段を上り下りした

山門のこの屋根のアールもいい

素朴で緻密な木組みのハーモニー

カエデが秋の彩りの準備をしている

鎌倉武士らしい質実剛健さだ

優美さよりも力強さを感じる

京女の繊細さに対して、東男、関東武者の無骨さが見える

それでもこの山門は美しさを持っている

圧倒するわけでもない
そこに静かに佇んでいるのだ

夏の汗 ぬぐって振り向く 大山門

山門から、はずれる
桂昌庵

弓道場になっている

居士林

石仏の地蔵が苔むす木漏れ日の下にいた

シンプルで優美なデザイン

瓦屋根の波も美しい

福田平八郎の「雨」を思い出した

遠足で来た子どもたち
カラフルな麦藁帽子が木陰に踊る

帰り道
今日は梅雨明けだったのだ