◆2012.9.16

★南林間駅界隈

 散歩の練習である。痛む足を鍛えるというのはなかなかできない。少しばかり気晴らしに近所である南林間駅付近の商店をコンデジを持って見て歩いた。徒歩5、6分圏内の見慣れた光景だが写真に撮ってみることなど、ほとんど考えてみなかった。地元の街は特に何が名物というほどのものは何もない。ご多分に漏れず衰退する一方の商店街ということになろうか。今日は日曜日で閉まっている店も多く、さらに活気がないようだった。それでも何となく居心地がよく30年ほど住んでいる。住めば都である。狭いアパートから賃貸マンション、分譲マンションへとこの街の中で転々としてきたが、とにかく生活に便利な街なのだ。スーパー類が駅周辺に4軒、コンビニが5軒、ドラッグストアが2軒、美容室が10軒以上、1000円床屋も3軒はある。エスニック系のレストランも複数ある。いかがわしそうな店もいろいろとある。日本の街にありがちな何の統一感もない雑多な街のひとつで、昭和初期に小田急電鉄の林間都市構想の一環として、中央林間や東林間と並んで、「南林間都市駅」として発足したのが始まりで、太平洋戦争に突入すると、将来の計画が消滅し、「都市」の名が削られ、現在の南林間駅となった。私が中学生ぐらいの記憶でも松の木があちこちに植えられ、1区画600坪の広いお屋敷の家が基本として普通にあった。現在、その当時を残す家はごくわずかとなってしまい、「林間」と言えるような樹林はどこにも見ることはなくなってしまった。それでも南林間は大和市のひとつのブランドであるかもしれない。(PowerShot S100)

小田急江ノ島線南林間駅前

この「軍人専用住宅」のことを「外人ハウス」と私たちは呼んでいる
米軍厚木基地に勤務する軍関係者は基地以外でも米国風の造りの家屋を作らせ住んでいた
今ではわずかに残り、物好きな日本人が利用する「ハウス」は基地の街の象徴のひとつである

よく通る道だがゴリラに初めて気がついた!

南林間で唯一の横浜家系ラーメン
いつまで残ることやら
以前近くでも家系ラーメン店があったがすぐにつぶれた

スーパーのひとつ、安さで人気の店だ
200メートルほど離れた生協スーパーと張り合っている

ちょっと裏側に回るときたない姿が目に付く

いろんな今時の店舗がひしめいている

銀座や青山にも店舗を出している洋菓子店
甘さ控えめでおいしいが小ぶりな割に高いのが玉に瑕

ノーベル化学賞を受賞した根岸英一さんは南林間に在住したことがあり、
南林間駅から西に延びる中央通を「やまと根岸通り」と称えて昨年命名された
行政は何でも有名人を利用したがるものだ

南林間在住の彫刻家安藤泉さんの作品だ
金属をたたいて溶接するなどして作品をつくる
動物をモチーフにしたものが多く、市内のあちこちに安藤さんの作品が置かれている

駅前の一等地に古い木造家屋が未だにある

その裏手には昔からの木造モルタル作りの建物も残っている

やはり古い店舗の壁面にはなぜかやたら探偵社のポスターが

こういうラーメン店に入りたい気持ちがたまに頭をよぎる

南林間は京都のように碁盤の目状に11条通りまである
駅近くでは駅への道が、碁盤目の対角線に通っていて
クロスする先端の土地は鋭角に細る

古くからのお屋敷
こうした邸宅も風前のともし火だ

住む街を 振りかえ見てむ 秋の午後


[INDEX]