2013年05月19日

うつろいの空

 相変わらずお天気が安定しない、決断を鈍らせる移ろうばかりの空の日々が続いています。すかっと晴れた日に鎌倉か横浜へ行こうと思っているのですが、二の足を踏むことになります。そして、地元の公園でマクロレンズでお茶を濁している始末です。撮影のタイミングを好きに選べるのは贅沢な立場にいるのでしょうけど、どんな立場になっても写真を撮るうえでは真摯に向かい合いたいですね。そして、いつもの公園であっても、カメラを持ったときには、一期一会の世界を見つけていきたいと思っています。(EOS 7D)
 
 また、ジジィの小言を書くことになる。橋下さんは、大阪市長という立場で何を発信したかったのだろうか。弁護士でもある人がなぜ、女性の人権を軽視する発言、あるいは完全に誤解される発言を繰り返すのだろう。声高に自己弁護するごとに、人々の心からどんどん遠ざかっていくようだ。「超訳ニーチェの言葉」から抜粋してみた。
 
 「物事はいかようにも解釈できる。良い物事、悪い物事が初めからあるのではない。良いとするのも悪いとするのも、役立つとか役立たないとか、素晴らしいとか嫌悪だとか、いかようであろうとも、解釈するのは結局は自分なのだ。しかし、どう解釈しようとも、そのときからその解釈の中に自分を差し込むことになるのを知っておこう。つまり、解釈にとらわれ、その解釈ができるような視点からのみ物事を見てしまうようになるのだ。つまり、解釈や、そこから生まれる価値判断が自分をきつく縛るというわけだ。しかし、解釈せずには物事の始末がつけられない。ここに、人生を読み解いていくことのジレンマがある。」(「解釈のジレンマ」より)
 
 どうだろうか?「ジレンマ」も抱かずにある方向に突き進む政治家たちをたしなめているとも、私は「解釈」したのだが、「どの国でもやっていた。日本だけがなぜ非難されるのだ。」という発言に縛られた危険な価値判断が集約されているようだ。

ハルジオンの綿毛
線香花火だ、と一瞬思った

望遠も持ってきた
カワセミ用に置かれた止まり木に居座るアオサギ
カワセミ・カメラマンが諦め顔で待っていた

いろんな仕草をする
これが最も複雑なカタチをしたときだ

マクロレンズらしいひとコマ
トリミングして複眼が見えるようにした

先日も撮ったアジサイの葉
さらに虫食いの段階が進み、葉脈のみとなった

葉を透かして見るのが好きだ
季節は梅雨に向かっているようだ

梅雨近し 紫陽花の葉も 色を増し