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今日の天声人語で取り上げていた「梅仕事」という言葉と「うめぼしのうた」が気になったが、梅の販売状況をそろそろ確認しなければいけない時期だとやっと気がついた。ここ数年6月末に近くなって探せば間に合ったものが、今年はやはり出回るのが早かった。その分、店頭から梅が消えるのも早いということだ。ひと駅隣のスーパーに上質の南高梅が大量に置いてあるのを知っていた。値段も出回り始めの半分近くになっており、シーズンも終わりという意味だ。
この店で、即座に大粒の4Lを10キロばかり購入した。去年の半分にした。このところ肩の関節もひどく痛むようになってきたため、力仕事がだんだん困難になっているからだ。赤く頬を染めた粒が多くなってくると梅干し用にちょうどよい。併せて、伯方の塩2キロ、赤ジソ袋詰5袋、35度焼酎720mlを調達。家に戻り、段ボールに開け様子を見ると、まだ青みのある粒が多く、このまま一晩寝かせて明日にでも漬け込もうと思う。
明治時代にできていたという「うめぼしのうた」の歌詞を探した。
二月三月花ざかり、うぐひす鳴いた春の日のたのしい時もゆめのうち
五月六月実がなれば、枝からふるひおとされて、きんじょの町へ持出され、何升何合はかり売り
もとよりすっぱいこのからだ、しほにつかってからくなり、しそにそまって赤くなり、
七月八月あついころ、三日三ばんの土用ぼし、思へばつらいことばかり、それもよのため、人のため
しわはよってもわかい気で、小さい君らのなかま入、海や山にもついてゆく、うんどう会にもついて行く
ましていくさのその時は、なくてはならぬこのわたし
何とも自虐的でブラックユーモア的な歌詞だが、梅干しづくりと効用を端的に歌っている。現在なら、「いくさのその時は」ではなく、せめて「いざという時には」にしておこう。20年以上続けてきた「梅仕事」、いよいよ今年も始まりだ。(EOS
5D3) |
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