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当然まだだろうな、と思って訪れた久しぶりの座間市の谷戸山公園の紅葉は、やはり気が早かった。明日からはまた天気が崩れそうなので、秋晴れの穏やかな午前の公園を少し汗ばみながら、細い木道が連なる山道をぐるっと歩いてみた。里山の雰囲気を生かした公園では、散歩をする初老の夫婦、ジョギングをする人、先生に連れられてきた1年生の子どもたちが多くもなく、少なくもなく時を過ごしていた。
前の朝ドラ「花子とアン」でブラックバーン校長が卒業生への言葉として「最上のものは過去にあるのではなく将来にある。旅路の最後まで、希望と理想を持って進みなさい。」と学生たちに「あの(学生)時代が一番幸せだった、楽しかったと感じたとしたら、私の教育は失敗だったことになる。」という名言がある。残りの人生の方が少なくなった私などに当てはめてしまうのは、虫がいいかもしれないが、「最上のものはまだこの先にある」と信じたいし、夢や希望も持っていたいと思う。もし、ふいに旅路の最期に直面したときに、「これまでの人生の中で今が一番幸せなんだ」と思って去って逝きたい。
妻の父親を含め、親を三人看取り、最後のひとりとなった妻の母親が認知症を患いながらも力強く生き、デイサービスの施設へ通所するようになってひと月あまり。妻は毎朝の送り出しと出迎えと夕食、通所しない週2日の昼食を届ける。私は雨の日の朝と昼、毎日の夕食は車でお供することにしている。この母親と娘の関係を見ていると実に面白い、と言っては申し訳ないが、「戦いの日々」を私は近くで興味津々で観察しながらサポートしている。まだまだ先は長そうだ。「最上のものはまだこの先にある」と思って、しばしの休戦を挟みながらまさに戦っていくしかない。(EOS
5D3) |
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ススキの穂が垂れ、陽を浴びて綿毛が輝いている
その濃やかな輝きが好きだ
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農村地帯の里山にふさわしく馬頭観音の石碑がある
柿であろうか、供え物がしてあった
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お茶の木の花だ
子どものころ、畑や家の境に茶の木が植えてあったのを思い出す
秋になると花をつけ、やがて実を成す
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この花の名前は知らないが
秋には珍しく華やかだ
カシワバハグマ(柏葉白熊)というようだ
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桜の葉が一部、紅葉し始めてきた
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ジョロウグモ
この季節、大きなヤツを見つけると撮りたくなる
毒々しさの中に妖しい魅力を感じる
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そのクモの糸
網の外を支える太い糸が輝く
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虫食いと這った跡だろうか
たわいもないモノに目が行く
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シダの葉が円形に広がり、落ち葉を集めていた
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ナンテンの一種だろうか
この鋭く尖った形と艶がいい
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木に這っていく蔦類の葉がリズミカルだ
まるでハートが飛んでいるようだ
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谷戸山には小さな田んぼがある
田んぼの脇に脱穀された稲藁の束が干されていた
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落ち葉とともにどんぐりがたくさんころがっている
子どものころ、ズボンの両ポケットにむやみに詰め込んだものだ
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帰り際、六地蔵があるので挨拶してきた
クヌギのどんぐりとアケビがお供えしてあった
秋日和 のたりのたりと 散歩する
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