2014年12月12日

父の鞄

 12月の初めに義母が脳梗塞で市立病院の専門病棟に入院し、発見が早く症状も軽かったため1週間ほどで退院し、デイサービスを再開しました。ただ、便秘の症状が強いので入院中も看護師さんたちに出してもらいましたが、その後また溜まってしまい、今日もデイサービスの途中でかかり付けの医者に連れて行き、大騒ぎしながら処置してもらいました。認知症であることと、水やお茶を飲むのが嫌いな義母は、便秘との戦いが新たに始まることになりました(^_^;)。

 そんなこんなで今シーズンは鎌倉での紅葉撮影を逸してしまい、実に中途半端な気持ちのまま今日に至っています。今さら紅葉でもないのですが、現在、私の実家では家を建て替えるための解体作業が始まっており、実家の兄夫婦がいろいろと両親の遺品も整理していたのですが、物置の隅に仕舞い込んであった父のボロボロの古い鞄(カバン)が出てきました。
 この鞄は、おそらく父が昭和13年18歳のとき、農家の末の男子のため口減らしということもあり、軍属として中国へ渡り、その後徴兵され兵隊となって終戦の翌年昭和21年に中国から引き揚げてくるまでの8年間に使用していた鞄と思われます。鞄には出身地と氏名、軍の認識番号(兵籍番号)のようなものが書かれた紙が貼り付けられています。この鞄も廃棄することとし、せめて写真に撮っておこうと紅葉の名残りのある地元の公園泉の森で撮影してみました。自分の親たちが、戦争の真っただ中にいねばならなかった青春時代を懸命に生き抜いた証拠を写真だけですが、残しておくことにしました。(EOS 5D3)

左側面に出身地、氏名、兵籍番号がしるしてあるのがわかる
表側の広い面にも同様の内容が貼り付けてあったのだろう

硬い木の枠組みに革張りがされ、金具で補強されている
寅さんが持っていたような鞄だろう

反対側側面にダビデの星のようなマークの中に17とある
そしてMBSと書かれているが意味不明
「17」は父が中国で兵隊として属した「独立混成第十七旅団」のことかもしれない
敵性語であるローマ字「MBS」を使用した理由と意味は今後じっくり調べてみたい


何となく紅葉の落ち葉が合っていると思った

落ち葉をあしらってみた
ここまでやるとほとんどポートレートのようだ

鞄ではなく、若く美しい女性がそこにいた方がいいに決まっている\(^o^)/

実家ではこんな感じで今日から重機でバリバリと解体が始まった

もみじ過ぎ 父のカバンに 思い馳せ