◆2015.2.4

★立春に呑む

 昨日の節分に私は還暦を迎えたが、特に何の感慨もない、と思っていた。認知症が進む義母のことやら、一時悪化した私の持病などで私の誕生日を穏やかに祝っているような状況、心境ではなかった。そんな午後、宅配便でひとつの荷物が届いた。26歳と30歳の二人の姪から「還暦祝い」として越後の酒蔵製の大吟醸が贈られたのだった。ラベルに私の名前と短いひとことが添えられていた。普段はほとんど会うことのなくなったの姪たちの気遣いにちょっと「ぐっと」来た。誕生日本番である昨日は、今日の病院での血液検査を控えて、この日に呑むことをあきらめた。そして、節分の誕生日も明けた立春の今日、夕方近くになり病院から戻り、夕食の時間になるのを心待ちにした。カミさんが豚バラ大根を作っていた。四合瓶に入った大吟醸を恭しく、カミさんの祖母から伝わる百年来の江戸切子に七分目ほど注ぎ、すーっと口に含んでみた。みるみる喉の奥に落ちていき、何の雑味もない心地よい仄かに甘い香り鼻腔に漂うだけだった。こんなうまい酒を飲むのは久しぶりのこと。ちょっと味の濃い豚バラ大根の大根だけを肴にし、呑む。ほっておけば四合瓶などすぐに空になるところだが、二杯目をちょっと注いだところで、カミさんから「もう今日はおしまい」と絶対命令が下った。まあ、これはこれでよいだろう。明日に楽しみを増やすのだと思えばよい。
 足の痛みは落ち着き始めていて、検査結果は正常値内だが、今日の受診で従前の薬の配分に戻してもらった。ちょっとした薬のバランスで私の健康が保たれているような気がする。義母は今週末にグループホームに入所することになったが、それまで自宅では対応できず、現在ショートステイで別の施設に一時入所してもらっている。介護を受ける家族、する家族のそれぞれのさまざまな事情で、「大変さ」は異なるものだ。他人の目からはそんなこと大したことがないのに、なぜ?ということもあろう。つくづく最近思うことがある。介護に絡むことばかりではなく、家族というものは・・・
 どんな家族にも、掛け替えのない小さな幸福があり、一方で、耐え難い大きな不幸があるものだ。大きな幸福もなければ、小さな不幸もない。人はそれぞれの幸、不幸を糧にして、これからを生きていくしかないのかもしれない。
 明日はまた関東南部でも大雪になりそうだ。この冬の最後の試練を乗り切りたいものだ。(EOS 5D3)

いい酒は呑んだ瞬間には酒とは思えないものだ
気がついたら酔っている

立春に 盃持ちて 梅の花


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