◆2015.3.22

★春彼岸

 父親の命日が三月上旬ということもあり、春の彼岸は面倒なので、墓参りは父親の命日だけで今回の彼岸はパスさせてもらった。命日やら彼岸、お盆があって年がら年中墓参りばっかりになってしまう。これからの日本は人口減少化社会で亡くなる人の数が生まれてくる赤ちゃんよりずっと多くなる。我々の世代が死に絶えるまでに三千万人以上の骨が墓に収まることになる。当然足りるわけがない。これまでの墓形式では、日本全国の空いている土地や人の住まなくなった住宅地を墓に変えていかねばならない、というバカげた事態になる。亡くなった人の墓にお参りをし、手を合わせ、生前のことを思い浮かべ、供養する、という気持ちを別のスタイルに変えていかねば、現に生きている人間が救われなくなる。樹木葬やら散骨、骨仏などが普及してきているが、これらも含め、生きている人間に負担のかからない方法を考案していく必要があるだろう。火葬した骨や灰の処分に関する法律を改正し、行政が対応すればよく、遺族の気持ちがあればそれでいいのであって、新たな商売を興す必要はない。

 久しぶりに午前中が晴れたので、いつもの公園に行ってみた。数本あるオオカンザクラが満開を迎えていた。穏やかな陽射しの公園をゆっくりと足元を気にしながら歩いていると、少し汗ばんできた。ちょっと前まで、自販機では「あったかい」を選んでいたが今日は「つめたい」にした。季節はこうして毎年巡っていく。冷たいお茶をひと口飲んで、また、公園内を歩き始めた。ソメイヨシノはまもなく開花する。(EOS 5D3)

オオカンザクラが満開だ
カワヅザクラよりも淡く、ソメイヨシノよりも濃い
そして、それらの中間に咲いて目を楽しませてくれる
 
やはり桜には青空が似合う
 
小さな子どもたちも桜の花の下で楽しげだ
 
近くにユキヤナギが眩しく咲いていた
 
サンシュユの黄色が目にやさしい
 
菜の花の黄色は力強い
 
馬酔木(アセビ)の花が音楽を奏でる音符のようだ
 
最後の紅梅が幹から咲き残っていた

 
午後のいっとき春雷があり、まだ雨が残る中、少しばかし虹を披露してくれた

春彼岸 桜待てずに 虹を出す


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