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Wordsのコーナーでもたびたび安倍政権の暴走を危惧する内容を記してきたが、今日はこちらで敢えて書きたい。辻元さんが言っていたが「日本の民主主義の存立危機、日本国憲法の存立危機」に立たされてしまった今の日本がここにある。
戦後70年の節目の今年、政府は再び戦争のできる日本を復活させてしまった。特定秘密保護法からはじまった安倍政権の試みは、今日の安保関連法案の衆議院強行採決でもってほぼ成就したと言っていいのだろう。どの新聞社のアンケートでも今回の安保法案に反対する意見が多く、自民党内の石破さんでさえも「国民の理解がまだ得られていない」として強行採決には慎重な姿勢を示した。しかし、安倍首相の強い意思が未来の悪夢となるようなこの法案を押し通してしまったのだ。安倍さん本人はこの法案を通すことによって生まれる環境が、日本の平和と国民を守り抜くことができると、少しも疑わず信じているのだ。信じ切っている人間ほど強いものはない。
安倍さんは「美しい国へ」の冒頭で書いている。 |
「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである。「闘わない政治家」とは、「あなたのいうことは正しい」と同調するものの、決して批判の矢面に立とうとしない政治家だ。 |
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確かに、そういう意味では安倍さんは終始一貫して矢面に立つ政治家らしい政治家ではある。しかし、国民のため、といいながら、その前に必ず「国家」が優先しているのも確かなのだ。国民主権を念頭とした日本の憲法は、宮崎駿監督の言うように、「15年にわたる戦争は、惨憺たる経験を日本人に与えた。平和憲法は光が差し込むようなものだった」はずだ。この一筋の光明である憲法を多くの日本人は支持し、政権与党も丁寧に扱ってきたはずだった。しかし、ぎりぎりの専守防衛、個別的自衛権のみを憲法の解釈の範囲とした歴代の首相の考えをあっさりと、「集団的自衛権もOK」と拡大解釈してしまった。この解釈改憲の上で成立した法案とは一体どういう意味があるのか。もはや憲法を改正する必要性もなくなり、憲法は死んだも同然としてしまったのだ。明日の本会議で可決された後、参議院でも論議は続くが衆議院優先により、可決されることには変わりはない。
国民一人ひとりが考え、自分の行動を決めていくしかない。この国を変えることができるのは国民自身だからである。ひとりの国のリーダーの信念だけで国民を再び戦火に追いやることは許されない。まだやるべきことは国会議員にも国民にもある。日本の民主主義を殺してはならない。日本の憲法を殺してはならない。日本国民を再び戦争で殺してはならない。 |