2015年07月29日

盛夏の候

 この夏の猛暑も手ごわい感じだ。年々、この時期の蒸し暑さが尋常ではなくなってきている。私の「少年時代」、1960年代はもっと夏はカラっとした暑さだった。「おもてで、遊ぶときゃあ、この麦わら帽子をかぶるんだよ。日射病になるよ。」と母親にかぶされて、麦わら帽子のつばをちょっと押さえながら、友だちのところへ飛んで行った。クリクリに刈られた頭には麦わらのトゲが当たり、痛かったものだ。走りながら、麦わら帽子から透けて入ってくる夏の熱い風が、何となく和らいで、もっと早く走れそうだ、などと思ったものだ。昔のことは何でも絵になって思い出される。
 
 安保関連法案も参議院入りして審議が始まっており、野党側の厳しい論理的な攻撃に期待したい。それとは関係ないが、またも世界遺産の話題である。このことを話題にするのも辟易するが、言いたいことは言っておきたいと思う。
 福岡県宗像市の「沖ノ島」の世界文化遺産への国内候補推薦決定ということで、地元は大はしゃぎのようである。「神宿る島」として、手つかずの島は、出土した多くの鏡や貴金属が国宝となっており、「海の正倉院」とも称されている。この立ち入ることもタブーな島を「世界遺産」として申請するのはそれなりに価値のあるもので、他の明治以降のロクでもない建造物に比べれば、充分に世界遺産の価値はある。
 しかし、この「沖ノ島」を世界文化遺産にしてどうしたいのかが、よくわからない。地域振興、観光のために登録を推進してきたのであれば、やはり、それは「間違い」だとしか言えない。純粋に貴重なものであれば、日本国内の国宝にしておけばそれで足りるはずだ。それ以外の「外貨」を望むのであれば、多くの痛みがこれから待っているはずだ。今日からにでも不当に上陸して「お宝」を発掘しようとするヤカラが現れるであろうし、神聖な島が侵されることは必定だ。現実の島に立ち入ることなく、観光客を満足させる手段や警備面など現在以上に求められ、コスト面も含め、大いなる困難が予想される。
 島のこれまでのタブーをそのままにしておけばよいものを、自らが目先の利益のために、1000年を超える歴史を破壊する行為に加担することになるだろう。多くの人は知ることもなく、そっとそこにあるのが、神の島としてふさわしい。ユネスコももっと厳格に世界遺産を限定して精査する必要があり、もはや、登録すべき遺産は尽きたはずである。次に判断するのは1000年後がふさわしい。(EOS 5D3)

泉の森のアブラゼミ

鳴き方も まだまだなりの 文月かな