2015年08月15日

戦後70年

 今年の夏は異常に暑い。シンガポールが30度以下で日本よりも涼しいという状況になっている。かつて、妻の古くからの友人である中国系シンガポール人シャーさんに夫婦で会いに行ったことがある。彼はシンガポールのあちこちを自分の車で案内してくれるのだが、ある日、セントーサ島の戦争資料館に連れて行ってくれた。多くを語ることはしなかったが、日本による占領時代のことを忘れてはいない、というシンガポール人の気持ちを示したものだと悟った。
 稀有なリーダー、リ・クアンユー率いるシンガポールはちょうど50年前独立を果たし、日本の戦時中の過ちを糾弾しつつも、戦後復興を果たした日本人のやり方を学ぼうとした。多くの若者を日本の企業に派遣し、「日本式」を習得していった。その若者のひとりが友人のシャーさんであった。造船技術を学ぶため、横浜を拠点に派遣された学生たちはさまざまな造船会社に出向いて行った。拠点である横浜の政府関係事務所でその時働いていた妻の父親とシャーさん含め、数人のシンガポール人と懇意になったわけだ。
 シャーさんは現在、親の跡を継いでレストランを経営しているが、多くの仲間はシンガポールの企業や政府関係で要職に就いているという。過去と現在と未来とをいずれもおろそかにしないシンガポールの姿勢は、問題点もあるものの、現在の日本の方が学ぶべきことが多くあるのではないか。

 さて、今日は戦後70年という節目のときの終戦の日。天皇は、「さきの大戦に対する深い反省とともに」という自らが「反省」というこれまでに使用したことのない言葉を発したのには驚いた。それだけ天皇が、現状を危惧しているのだと察することができる。昨日の冗長で、中味もなく、反省もない安倍談話と今日の戦争当事者意識のない戦没者追悼式の安倍首相の始まりのあいさつには、多くの国民が失望したに違いない。天皇のひと言に安倍さんの多数の言葉がすべて掻き消された痛快な思いだ。

 かつての日本がやっていたことがよくわかる史料を私は持っている。17年前、骨董市で私の興味をそそった古い写真雑誌があった。何冊かがあったが、2冊だけ購入した。その1冊目は、「世界画報 昭和9年(1934年)4月1日号 満州国帝政記念」で、もう1冊は、「歴史写真 昭和15年(1940年)10月号 大東亜共栄圏建設」というものだ。
 満州事変を経て3年後の昭和9年3月1日に、日本は満州(現在の中国東北部)に清朝の最後の皇帝を再度皇帝として擁立し、傀儡国家を樹立させた。「世界画報」は、それを祝う様子を写真でまとめた特集だ。この雑誌は民間のものだが、完全に日本政府の御用宣伝雑誌と化していることがわかる。満州の人々が新帝国の旗を振っているが、その表情に笑顔はない。日本の軍部及び政府がいかに巧妙、狡猾に満州を掠め取っていったかは、「満州事変から日中戦争へ」(岩波新書)で詳しく書かれている。そして、「歴史写真」は、中国で戦火を広げ重慶を爆撃している様子が写し出されている。この号が発行してまもなく、1940年9月27日には日独伊三国同盟が締結され、日本はいよいよ翌年の真珠湾攻撃という破滅への道を加速させていく。
 現在の若者の中には、日本がアメリカを敵としてと過去に戦っていたことさえ知らぬ者がいるという。戦後70年ともなれば、当然といえばそうだが、これまで日本の戦争時代の歴史をあまり、力を入れて教えてこなかった弊害のひとつだ。もちろん、現在の政府が進める日本政府に都合のよい教科書で近代史を教えることはできない。教科書以外のさまざまな客観資料を駆使して、教師と生徒は日本の戦争時代を冷静に学べばならないときがとうに来ているのだ。
 これが実践されなければ戦争は再び、現実のものとなって、あらゆるものを呑みこんでいくことになろう。今まさに、得体のよく知れたバケモノが大きな口を開け、我々を呑みこもうとしていると思った方がよい。現在というこの一瞬は、常に崩れやすい砂上の楼閣で、いっときの繁栄を謳歌しているにすぎない。その楼閣が崩壊するのは、外部からではなく、常に内部から始まるのだ、と歴史は教えていることを知っておきたい。(EOS 5D3)

世界画報 昭和9年4月1日号表紙
帝政記念を祝う満州の夜の様子

世界画報
右上は満州の子どもたちが新たな国旗を振って祝う様子 しかし、笑みは見えない
写真の解説には「国旗を双手に、歓呼する満人児童」とある
右ページ拡大(別ウィンドウで開きます)
右下、新京の通りにアーチをあちこちにつくり祝賀モードを盛り上げようとしてる
左ページには、満州帝国の蘭をデザインした紋章が紹介されている

歴史写真 昭和15年10月号表紙
日本軍はこの9月に北部仏印に進駐した
仏印ハノイの花売り娘、とある

歴史写真
左ページ 重慶を空爆している様子を載せている

いつの世も 欲せざりしを ひとにせず