2015年09月01日

二百十日

 今日は、雑節の二百十日、立春から数えて210日目である。嵐(台風)がやって来る日として経験的に農民には恐れられていた時期なのだそうだ。「二百十日」という夏目漱石の小説があるが、筋としては友人同士二人が阿蘇の噴火口を見ようとして、二百十日の嵐で遭難しそうになる話だ。それと「初秋の一日」という短編があり、鎌倉の東慶寺あたりを二百二十日の雨の中を行く一節がある。今日の関東南部の天気はどちらかというとこの短編の「二百二十日」かもしれない。
 「今日は二百二十日だそうで……」と云われた。三人はその二百二十日の雨の中を、また切通越に町の方へ下った。
  翌朝(あくるあさ)は高い二階の上から降るでもなく晴れるでもなく、ただ夢のように煙るKの町を眼の下に見た。

 大和市のいつもの公園付近を歩いた。先ほどまで降っていた雨が上がり、地面や木々が湿っている。少し晴れ間が見えたので散歩でもしようとやってきた。あまり歩かないところを選んで歩いてみた。もう少し歩を進めようかというとき雨粒が再びポツポツと来たので、道路脇に置いた車に戻った。二百十日のほんの少しの旅であった。(EOS 5D3)

公園に隣接して数件の車修理工場がある
ここには往年のアメ車が放置されたままだ

いつか修理して売り物にしたいのだろうが、一向にのそ気配はない

よくわからない機械がある
錆びた鉄が美しい

ここの上には東名高速が通っている
下り大和トンネルの出口近くの下をくぐるトンネルだ
左側には引地川のための、右は歩行者用のトンネルだ

トンネルの照明にエノコログサを飾った人がいるのだろう

泉の森近くのイチョウの木と庚申塚

この季節に異彩を放つボタンクサギ

道路土手の露出した土と根っこがいい

サルスベリはまだ百日は過ぎないのだろうか

昔からの住人は一族の墓が山や畑の中にある

泉の森のいつもの公園の大池
カワセミの収穫のなかったカメラマンが引き揚げて行った

二百十日 降るも降らぬも 秋となり