2015年09月27日

十五夜・スーパームーン

 今宵は十五夜、ただし、満月ではない。月齢のうえでは明日が満月だ。今回の満月は3年前の5月にもなったスーパームーンだ。月が地球を回る軌道が楕円だから最接近したときは大きく見えるという理屈だ。しかし、並べて見るわけではないので、目で見ても実感はしない。まあ、そんな理屈はよい。雲の切れ間に見え隠れする今宵の満月の一日前の小望月を酒を呑みながら愛でればよい。
 前にも書いたが、スーパームーンという英語表現は何と詰まらぬ即物的な言い方で味も素っ気もない。超満月や特大満月なんて書いたら、日本人は興ざめするだろう。そして、ない知恵を絞って3年間考えた。いや、今思いついた。満月の満ちるよりも、あふれるような月、溢月(いつげつ)はどうか、いや、脳溢血みたいだ。では、あふれる意味合いとして、濫月(らんげつ)はどうか。濫は、みだれるという意味もあり、上品ではない。では、同じ音の「らん」を「藍」として「藍月」はどうだ。何だか宝塚の芸名にでもありそうだ。
 とかく名前を付けるのは容易ではない。子どもはいないので、名前は付けたことがなく、かくも厄介だとは思わなかった。昨今の親はもっと、字面や音の心地よさだけで意味など考えていないだろうが、子どもには単純で深い意味のある名前を付けてあげたいとかつては思っていた。酒を呑み進むうちにそんなことはどうでもよくなった。とにかく、秋がだんだんと深まりつつあるのを毎日感じる日々である。(EOS 5D3)

実際には満月ではない、小望月
左側がほんの少し欠けている

雲が絶えず覆っていく

だんだんと雲も多くなる
月だけ別ショットをはめ込んだ合成である

秋月の あふれる光 酒を呑み