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受験生はセンター試験で人生の大変な時期を迎えているであろうが、すでに隠遁した身の人間には遠い過去の切ない思い出の一齣でしかない。決して裕福ではない家庭の私には一浪はできたが、二浪はありえなかった。現役のとき、理科系で受験し全滅した私は、文系に転向することにし、これまで選択する必要のなかった日本史の参考書を丸暗記するようにして、背水の陣の覚悟で受験に臨んだものだった。幸い、いくつかの大学に合格でき、ほっとしたものだった。
しかし、大学に入学してからはというもの、真面目に勉強した覚えがほとんどない。親には申し訳ないが、気の合う仲間と酒や麻雀に興じ、ちょっとした恋愛にうつつを抜かした、人生で最初で最後の幸福な楽園にいたようだ。誰かの言葉にあったような気がするが、「青春が人生の終わりにあったら、どんなに幸福なことだろう」という言葉だ。しかし、青春の甘酸っぱくも物悲しい時期は、やはり、肉体的にも二十歳前後に青春である必要があるだろう。人それぞれではあるが、自分でも輝いていた時代というのはあの若いころしかない。
仕事に就いて得たものもたくさんあるが、それは輝いていたこととは違う気がする。輝くのは一瞬で儚いから美しいし、印象に残るものだ。どちらかといえば、建設的でも生産的でもない、何の利害もない友人や恋した相手との取るに足らない、ただただ浪費された時間が輝いていたと見えるのだ。こんなことを振り返るのも老いた証拠だろう。
いつもの公園はやや寒さも取り戻した様子もあるが、雪も降らない平穏な午後であった。雪もない公園は、何もない。何もないと思うと何もないが、よくよく見れば、小さな発見もある。この公園も人生においても、小さな発見を繰り返していく好奇心を持ち続け、ときめく心を持ち続ければ、新たな青春が今この時だったのだと、もう少し後の人生で再び、気がつくのかもしれない。(EOS
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