2016年03月17日

辛夷咲く

 今日は久しぶりの100点満点の晴天でした。大和市内の野球場のある引地台公園にちらっと行ってみました。右膝の調子は相変わらずよくないため、車を置いて近くを10分あまり散歩するだけです。気候変動により日々の天気はなかなか予報どおりにはならないようですが、それでも確実に春が廻ってきていることは確かなようです。濃やかさに欠けてきたとはいえ、四季それぞれの変化を楽しむことができる日本の自然環境は貴重だと思います。ハクモクレンが先行して咲き、今はコブシ(辛夷)がちらほら咲き始めています。コブシが咲けば、ソメイヨシノはもうまもなくです。花と言えば桜ですね。別れと出会いの季節が日本では春であり、桜の咲く時期と重なり、最も感情移入できる日本の花、それが桜なのだと思います。(EOS 5D3)

 このごろつくづく感じるのは、私自身も含め、世の中全体の人間性の低下が著しいように感じてなりません。欧米流の資本主義経済と政治の行きづまり感による貧富の格差の拡大が背景にあるように思えます。超金持ちとその他大勢の貧乏人しかいなくなったような社会です。金持ち階級に属する政治家たちは、人の心の痛みを感じて発する言葉を持ち合わせていないようです。「奴隷である黒人が大統領になっている」主旨の発言をする弁護士でもある政治家。差別発言ではない、真意ではないと言いますが、問題の本質をまるで理解できていないこんな政治家がいるわけです。
 そして、安倍首相も「保育園落ちた日本死ね!」のブログへの反応は「匿名である以上、実際起こっているか確認しようがない」とつれないものでした。確かに「死ね」などという言葉は品が悪いし、匿名の投稿はルール上国会で取り上げるにふさわしくないでしょうが、これも本質的な内容を理解せずに、発言したとしか思われません。先の弁護士政治家と同レベルですね。アメリカの大統領候補者のトランプ氏も意図的とは言え、レベルの低い暴言を繰り返しています。
 人間のレベルというのは、ある段階で止まり、戦争や不況などですべてが破壊され、立ち直っていくときに、再び相応しい人材が登場するような気がします。宗教や独裁は元より、共産主義も資本主義もすべて失敗だとわかってきた現在、人類はどんな形態の統治を見い出すことができるのでしょうか。人間のレベルがここまでとしたら、破壊が待っているだけかもしれません。打つ手がない、という悲壮感に満ちたとき、戦争への誘惑の魔の手が忍び寄ってくるのではと直感する今日このごろです。

春が遠い北国ではまだだろうが、ここではコブシが咲き始めた

まだ蕾が大多数だが、青空に映えて清々しい

ソメイヨシノが並ぶ公園
まだ花芽の段階だ

私の標本木も同様である

もう少しであろう

公園の一画は野球場となっている

水島新司氏のドカベンの像がある

里中智投手の像もあり、親しまれている

引地台球場から大和スタジアムと名称変更したが、愛称はドカベンスタジアムのままだ

そういえばツクシがたくさん生えていた

花見えず 蒼き空には 辛夷咲く