2016年06月16日

紫陽花寸描

 梅雨空の中、久しぶりに隣り街まで行って、少しだけ写真を撮ってきました。相模原市の麻溝公園では、アジサイがもう終わりのころになっていました。今年は、どうやらかなり剪定されたあとのようで、花の数も少ないようです。しばらくすると、雨がポツポツしてきて、雨脚が強くなりそうな雰囲気なので、すぐに引き返すことになり、残念でした。でも、短い時間でも写真を撮るのは楽しいものですね。
 さて、「せこい都知事つるし上げ祭り」は辞職ということで議会の追及も頓挫して、幕を引きました。マスコミの関心は次の都知事候補者へと移ってきています。この浅はかな日本のマスコミの祭りの対象は何でもいいのでしょう。少しもジャーナリズムとしての信念など結局感じることはできませんでした。舛添さんだから追及できたのであり、石原さんのときには、もっと酷い状況であったのにマスコミは叩かなかった。というより、論破できない知識と凄みがあり、若い記者には何も立ち向かうことができなかったのでしょう。叩きやすい人間だけを叩く、これはイジメの構造といっしょです。そこに正義のカケラもない。日本の将来はやはり暗いとしか言えません。東京という富と権力が集中する大都市では、成功したものだけが生き残り、負けたものは底辺でうごめくか、死が目の前にあるような地獄しかないのかもしれません。舛添さんは天国から地獄に落ちるのをリアルで見られた象徴のひとつとして、受け止めておきます。(EOS 5D3)

ガクアジサイの形はバリエーションがあって飽きない

グリーンタワーがどこからでも見える

アジサイの通りの隣りは広場になっている

遊具もあり、子どもたちは大はしゃぎだ

東屋まわりのアジサイも少なくなってきた

手毬タイプでは珍しい種類だ

蜘蛛が鎮座していた

梅雨空を 少し歩いて 雨降られ