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現在、NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」が評判ですが、主人公のモデルとなった大橋鎭子さんは、私の母と生まれた年がいっしょです。大正9年(1920年)に生まれ、大橋さんは平成25年に亡くなり、母は翌平成26年に亡くなりました。年齢としてはともに93歳でした。そんなこともあり、母と同じ時代を懸命に生きた「とと姉ちゃん」にとても親近感があります。名前も母は「シヅ」といい、鎭子(しずこ)さんと近い。二男五女の末っ子で農家では食べていけず、看護婦と助産婦になり、神奈川県と東京の病院を異動で転々としました。終戦の年には、東京の病院で空襲に遭い、命拾いをし、負傷者の手当てをし、妊産婦のお産に立ち会いました。戦後は、実家(神奈川県大和町:当時)に戻り、地元のお産婆さんとして戦後のベビーブームを支え続け、兄と私を生み育てながら、懸命に生きてきました。町が大きくなると保健婦の資格も取り、町役場の仕事もするようになります。私たちの子育てが一段落するころには、仕事は少なくなり、趣味を広げるようになりますが、予防接種の手伝いや新生児家庭訪問などを続けていました。
2年前に亡くなったとき、アルバム以外にバラの写真が出てきたので、それを拡大し、遺影とともに供えました。20歳のころの看護婦時代の写真です。このコーナーは「でじかめダイアリー」ですが、デジタル処理写真として、フォトショップで色付けしたものも掲載することにしました。古き良き時代もあった母の青春を垣間見る思いです。そして、感謝と尊敬の念を改めて抱く次第です。 |
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病院の寄宿舎なのだろう
20歳のころ、まだ、太平洋戦争が始まる前だ
24か所に分けて、フォトショップの機能を生かし着色してみた |
原画は名刺サイズより小さな写真だ |
同僚の看護婦といっしょに
この頃は、こうして写真屋さんにブロマイド風に撮ってもらうのが流行ったのだろう |
もんぺ姿か、戦争が始まっていたのかもしれない
戦争の 時を駆け抜け 生きた母 |
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