2016年07月28日

やっと梅雨明け

 関東地方もようやくの梅雨明けである。昨年よりも1週間遅い。今年は足の調子が悪いこともあり、梅干しづくりは中止した。また、毎年作っても消費するのは私だけなので、なかなか減らない。妻の兄にときどきあげているが、3年前の梅干しがまだ残っている。そんなこともあり、来年も作ることはないかもしれない。
 それで、梅干しではなく、久々のいつもの公園での撮影にした。午後になると、雲がかなり取れて青空が濃くなり、夏らしくなってきた。ミンミンゼミやアブラゼミの声が聞こえるが、カメラには収められない。かろじて蝉の脱け殻でも撮ってみた。汗でびっしょりになったが、比較的、足の調子もよく少し余計に歩くことができ、心も少しは晴れた。(EOS 5D3)
 
 同じ神奈川県内の隣り町、相模原市の障害者施設で19人の入所者が殺されるという凄惨な事件が26日発生した。元職員だという容疑者は「障害者はいなくなればいい」という身勝手な思いのもと、犯罪が行われた。ヒトラーによるユダヤ人大量虐殺、ホロコーストにも通じる発想がある。人が人を殺してもいい、などという発想はこの世にあってはならない。たとえ、殺人を犯したものでさえ、国家権力によって殺されるべきではない、と確信している。罪を償うには、この先の人生で、生きて、死ぬほどの苦しみを与えられることが必要な罰だと思う。
 私たちの生活で理想を言えば、障害者や要介護の高齢者、病人など家族とともに家で過ごし、地域が見守るのがいいのかもしれない。しかし、さまざまな状況が現代では困難になってきている。特に知的、身体、精神など重度重複の障害者の生活援護は長きに渡るため、家族だけでは不可能であり、専門施設の役割は大きい。
 私の義姉も県内で同様な障害者施設で栄養士として、調理も含め、働いている。仕事の時間も長くなったり、重労働であったりしてたいへんではあるが、明るく頑張っている。仕事にやりがいを見出し、入所者のため、そして、自分のためにも日夜がんばっている人々がほとんどなのだ。「全国手をつなぐ育成会連合会」からのメッセージが心に重く響く。「障害のある人もない人も、私たちは 一人ひとりが 大切な存在です。」つくづく、そう感じる。

午後の空は梅雨が明けたことを知らせていた

クマバチが蜜を求めてホバリングしている

公園に隣接する神社に一礼して

やっとアブラゼミの脱け殻を見つけた

ケヤキにもいた
まだまだこれからがシーズン本番だろう

竹の柵にカマキリの子がガンを飛ばしていた
マクロレンズを持っていなかったのが残念

すでに柿が青い実を付けていた

公園の百日紅がもえあがっていた

梅雨明けて 耳に染み入る 蝉の声