2017年04月04日

神田明神から神保町へ

 今日は天気が実によかった。絶好の桜日和である。しかし、今日は桜を撮るのが目的ではなかった。久々に東京へ電車で出かけることにしたのだ。以前から妻と神田明神に行きたいと話していたのだ。これまで妻とは「江戸見物」と「江戸の食」をたまに実行していた。私の足の具合がままならないため、頓挫ばかりしていた。ここでようやく足の調子が上がってきたのと桜の季節とでちょうどよかった。
 銀座線の末広町で降り、神田明神を目指す。正面からではなく、明神男坂と言われる階段をどうにか上って境内横から入る。この神社は江戸初期から現在地にあるが、建物はみな新しくなっている。桜も多少咲いていて晴天の空によく映えていた。参拝後は鳥居脇の天野屋に寄り、甘酒をいただく。たくあんが添えられているのが粋だ。
 ぶらぶらとお茶の水公園という狭い公園を通り抜けると湯島聖堂の横に出る。ここもコンクリート造りの新しいものだ。江戸の多くの建物は、江戸時代のたびたびの火災や関東大震災で焼失していることがほとんどだ。場所も移されていることも多い。ただ、それでも江戸の風情を残し、愛される光景となっているのが良き伝統だと思う。聖橋を渡り、ニコライ堂にも寄る。明治以降だが、ここも数奇な歴史のある建物だ。私の学生時代でも周囲には高層建築がなく、高く立派に聳えていた。
 さて、昼メシは蕎麦だ。神田の「やぶそば」に決めていた。ピーク時間を越していたと思っていたが、かなり混んでいた。ただ、回転が早いのでそんなに待たない。「せいろうそば」は私が2枚で妻1枚は少なかった。まあ、蕎麦で腹いっぱいに食べるのも野暮というものだ。汁が濃くさっぱりし、のど越しのいい蕎麦だった。江戸の食の代表は「天ぷら」「うなぎ」「蕎麦」「寿司」だが、妻と食べるのは残すは寿司のみとなった。
 また、ぶらぶらと神田須田町の古い店先を通り、神保町に行く。親戚の古本屋に顔を出し、靖国通りやすずらん通りを歩いて、締めは「さぼうる」だ。まだ腹に余裕があったので、サンドイッチなどもいただく。学生時代は神保町には古本屋に来るのみで喫茶店などに入る金銭的余裕はなかった。通学する学生食堂でうどんやカレーがメインであり、最後の方で大学付近の食堂に行くようになった。だから、この「さぼうる」など贅沢の極みであったろう。再び古書店を冷やかしながら帰路に就いたのだった。桜はどうでもよくなってきた(笑)。お上りさん気分のプチ江戸東京旅行は楽しい。(PowerShot G7X2)

神田明神の社殿と鳳凰殿
脇の桜がほぼ満開で彩りを添えていた

この坂を上がってきた
だから神田明神は高台にあって、江戸では東の街並みを眺望でき、朝日を拝めた

社殿脇にも桜が少し咲いている

境内から随神門を見る

塀の軒瓦

表から随神門を見る
山門ではないので、仁王様ではなく、門を守る神様だ

天野屋で甘酒をいただく、そんなにしつこくない甘さだ
たくあんが気が利いている

神田明神鳥居脇に天野屋はある

お茶の水公園、すぐ向こうは湯島聖堂
天野屋の店員のおばちゃんにここの桜もいいよ、と教わり来てみた

湯島聖堂
元は昌平坂学問所

湯島聖堂入り口方面
ショカッサイ(ムラサキハナナ)が繁茂していた

聖橋からの眺め
中央線の電車がやって来た、下の線路は地上に出た地下鉄丸の内線

ニコライ堂
明治初期に建てられたロシア正教の教会
ロシア革命後は見捨てられ、関東大震災でほぼ壊滅するが、再建される
太平洋戦争の戦火は免れるが空襲犠牲者の死体安置所にもなった

昼食は「かんだやぶそば」
4年前に火事になり再建され、雰囲気はそのままに近代的になっている

汁をまだ差していないが、濃いめの味で蕎麦をさっぱりといただける

蒸籠の竹すのこが独特で湾曲している

やぶそば近くに寄席があった

神田須田町の老舗あんこう鍋のいせ源
ちょっと入るには勇気がいるが、若いカップルが入っていった

甘味処の竹むら

こんな昭和初期の歯科医院もあった

この「神田まつや」も知られた蕎麦屋だ
近くに桜が咲いていた

神保町古本屋街裏手のすずらん通り
この「文房堂」には学生時代、たびたび来たものだ

古い建物が残っている

古本屋もこの通りにも少しある

神保町の喫茶店と言えばここだ、ヒマラヤスギが目印
「さぼうる」名物のおやじさんが案内してくれる

意味不明な装飾であふれている
「さぼうる」はスペイン語で「味(sabor)」という意味らしい

狭く暑苦しくごちゃごちゃした店内がいい
蕎麦で足りなかった腹を満たす

この付近にはこうした老舗の喫茶店が並んでいる

靖国通り沿いの古書店を歩く
「大屋書房」ではかつて江戸の古書を買ったことがある

古い建物の一部が残っている

一誠堂は昔から変わらず大きく構えている

江戸の町 東京の今 往き来する