2017年04月25日

基地の街に生まれて

 たびたび書くが、私は厚木基地のある大和市に生まれ、育ち、現在も暮らしている。この60余年、米軍のジェット機騒音や墜落事故などにずっと悩まされ続けてきた。講和条約発効後も、一般にはまだ進駐軍と言われていた米兵に幼い私を連れた母が襲われそうになったとも聞いた。朝鮮戦争やベトナム戦争になり、厚木基地周辺は軍関係で生きる糧を得る日本人も増えていった。友人の父親には基地の食堂で働いたり、ペンキ塗りをする者が少なからずいた。戦地から運ばれてきた米兵の遺体を洗うといい稼ぎになるという話が漏れ伝わってきたりもした。子どものころトラックに乗った米兵からガムをばらまかれ拾った記憶もある。いわゆる「ギブミー・チョコレート」の時代がまだ残っていた。みんな貧しかったのだ。戦争に負けたのだから仕方がない、という諦めと目新しいアメリカ文化に触れていく喜びの相反する感情を抱いて成長してきた気がする。今後、この基地がどう変わっていくかわからないが、沖縄と同様、なくなることはないだろう。
 北朝鮮が軍創建85周年を迎えた今日、核実験かミサイル発射をする可能性があった。その際には米軍が北朝鮮に対し、軍事攻撃することも選択肢の中に入っていたようだ。北朝鮮からの報復か先制攻撃かわからないが、テレビでは何度も内閣官房の国民保護ポータルサイトの武力攻撃を受けた場合の対応行動を紹介していた。何ともリアルな戦争の世界が目の前にあることか。今のところそうした情報はないが、どちらかが手を出したら、すべてが終わる。トランプ政権誕生後から世界は確実に動きだしてしまった。誰が敵だか味方だかわからない。一般市民にすればどの国の国民であろうと戦争に手を染める国家は敵であろう、たとえ自分の国であろうと。
 戦争をなくすことができない人間のDNAが滔々と流れている。第二次世界大戦中のような自国が戦場となった経験がない多くの世代には戦争は軽くなってきたのかもしれない。まして、自国が一度も戦場になったことのないアメリカはシミュレーション・ゲームでもするように他の国で大規模な戦争を起こしかねない。日本の若い世代にも戦争を否定しない人々が増えている気がしてならない。いつ崩れ落ちるかわからない砂上の楼閣に住み続ける人類は、不安をますます募らせるばかりだ。(EOS 5D3)

厚木基地北側の上草柳広場から
自衛隊機が着陸しようとしている

自宅からも戦闘機がよく見える

艦上輸送機のようだ

内閣官房国民保護ポータルサイトにあるパンフレットから
気味の悪いサイレン音も聞くことができる

自衛隊機がぐるっと周回飛行を繰り返している
遠くに大山、丹沢が見える

住宅のすぐ上から着陸態勢に入る

ほぼ真下から見た

休憩していた戦闘機が飛び立ち始めた

マニアの女性カメラマンも耳をふさぐ

戦闘機が着陸する

基地関係の家族と思われる女性たちがジョギングしているのをよく見かける

二機編隊で飛んでいた

近くでハトが「二羽編隊」で飛んでいた
ハトだけならまだいいが・・・

いつもの公園の風車近くをかすめるように着陸してくる

できないはなし できないはなし(前句)
戦争を しない遺伝子に 組み替えて