|
午後、近くのスーパーに歩いて買い物に行く途中、空に晩秋の空らしい雲が広がっていた。雨風が続いた先週までの天候と比べると、何と穏やかな過ごしやすい日々なのだろう。そんな穏やかな気持ちを掻き消すようなおぞましい事件が隣り街で起きてしまった。座間市のアパートで起きた9人の殺人事件だ。事件の内容を記すだけでも気分が悪くなり、話題にもしたくない事件だ。しかし、こうした事件は単発的に時代や国・地域にかかわらず起きるのも事実だ。事件の真相はまだ明らかにされていないが、殺すことに快楽を感じるタイプの猟奇殺人との見方が多い。自殺願望の人間をおびき出して、毎週のように殺し、バラバラにする、などという想像さえもためらわれる犯行内容だ。
「人は人を殺してはいけない」というのは理屈や法律ではなく、人が人であり続けるための最低限の存在理由だと思う。事件性の殺人はもちろん、戦争や死刑による殺人も本来あってはならないことだ。自殺も自分自身を殺す殺人であり、あってはならない普遍的禁忌のはずだ。動機や理由を見い出すことに意味があるのかどうかわからない。こうした事件にふれると思考が停止してしまい、避けたくなる。被害者の冥福を祈りつつ、もう終わりにしたいと思う。
一方、日本のマスコミは来日中のイバンカ大統領補佐官のことで右も左もお祭り騒ぎである。トランプ大統領の娘を権力により補佐官にするなど公私混同の激しいトランプさんだが、マスコミはイバンカさんのファッションや身長などどうでもいい表面的なことしか触れない。若くきれいなことは確かだろうが、テレビ各局は全く同じように等身大パネルを用意し、その華やかさばかりを取り上げる、というのはジャーナリズムでもなんでもない。こんな低レベルのマスコミだから、安倍政権をきちんと批判できないのだろう。踊らされていることに気づいているのかいないのか、ただのバカなのか。日本のマスコミは戦前の全体主義に向かう国家にたやすく取り込まれようしている、と臭いを感じるのだ。(FREETEL
RAIJIN) |
|