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西日本各地の豪雨災害は、平成の最期に最大の被害となってしまった。連日の死者・行方不明者の数が増えていくテレビの画面をただただ見守り、心で祈るしかない。関東ではいっときの豪雨はあったものの猛暑の連続で、体が心とともに参ってしまっている。国会では、この混乱とサッカーワールドカップに乗じて、働き方改革とし称して残業代なしの高度プロフェッショナル制度、カジノ、参議院定数増などの法案を成立させるなど自民党のやりたい放題である。
そんな折、妻の兄から珍しく連絡があり、「体が動かないので弁当を買ってきてほしい」とのことだった。自宅で舞台音楽関連の仕事を営む独身の団塊世代の人だ。母親が介護施設に入所してからは義兄の独り暮らしは3年ほどになる。妻とも連絡を取り合うのは母親のことでたまに電話で話す程度だった。妻の体調も不十分なので私が弁当を買って家を訪ねたのだった。
家に入ってみると驚くべき光景が広がっていた。ひと言で言えば、「ごみ屋敷」になっていたのだ。袋に入ったペットボトルが無数にあり、ラベルをはがして入れたものから、そのまま入れたもの。そして、ついには、ペットボトルや空き缶がそのまま居間に数百と散乱しており、他のごみも入り混じって、足の踏み場もない。ありとあらゆる場所がホコリとごみに埋もれていた。義兄はやせ細り、ごみの中のソファに腰掛けていた。
それから、戦いが始まった。頑固な義兄は、締め切りの仕事があるので、病院に行くことを拒否するため、地域の包括支援センターに相談に行き、訪問の約束まで取り付けた段階である。とりあえず、我々でできるのはペットボトルや新聞紙の処理だ、ペットボトルは45リットルの袋に15袋程度あり、2,3袋ずつ自宅に持ち帰り、ラベルとキャップをはがし、洗浄して、乾燥させ、資源選別所に車で運ぶ、ということを繰り返している。兄は、明らかに認知症と判断されるが、何とか説得し、入院させ栄養失調状態の体を回復させたいのだが、仕事を優先し、言うことは聞かない。
2025年問題が間近に迫る中、団塊世代の人も個人差があり、義兄のように60歳代で介護や医療の必要な人も出てくる時期となっている。この「大介護時代」を日本は乗り切ることができるのだろうか。あらゆる社会保障制度というのは、これまでこの団塊の世代のために準備されてきた制度だが、すでに親の世代で食い尽くされようとしており、7年後には破綻が必至であり、それ以降の世代は無介護、無医療の時代になるかもしれない。格差社会がますます広がる中で、日本の社会保障制度が崩壊するのをこの目で見ることになりそうだ。暗澹たる将来と目の前の困難に茫然としている今日このごろである。(EOS
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