2018年09月13日

彼岸花咲く

 学生時代に友人がある詩を書いた。
  緑緑緑緑緑
  緑緑赤赤緑
  緑緑赤赤緑
  緑緑緑緑緑
  緑緑緑緑緑
 題は「曼殊沙華」だ。「とても朗読できるシロモノではないけどね」と友人は笑った。40年以上前の話である。しかし、今も覚えているくらいだから、鮮烈に印象に残った。文字と視覚とに訴える感覚が新しく、彼岸花を見るたびに思い出すのだった。
 エアコンの冷房をつけなくても過ごせる日々が戻ってきたようだ。やっと一眼レフを持って、屋外で写真を撮る気になってきた。手始めに、隣り街の座間市かにが沢公園の彼岸花の様子を見に行くことにした。まだ、二分咲きといったところか、ほとんどがひょろひょろとした茎だけがグリーンアスパラのように伸びている。それでも咲いている赤やピンク系の白い彼岸花が若々しい花びらとシベを張り出している。緑の中に点々と咲く赤い花は、まさに友人の詩のようであった。(EOS 5D3)

 先週の北海道胆振東部地震でのブラックアウトは、私が想像した以上に深刻な事態であることがわかり、さらに愕然としているところだ。要は、一部の発電所停止に伴う電力需給に見合う発電所と供給地域の「調整に失敗」したのがブラックアウトの原因だったのだ。これはどんなことがあってもあってはならないし、想定しなければならない事態のはずだ。やはり、根本は泊原発をいずれ再稼働させることが念頭にあって、新たな火力発電所やその他のバックアップやリスク分散態勢を構築することに躊躇し続けたことによるものだ。
 また、今回の地震が知られている活断層の延長の影響なのか、あるいはもっと深層の未知の断層かもしれないとも言われており、つまるところ、日本ではどこでも震度7を引き起こすかもしれない国土の上にすべての生活を委ねていることを覚悟せねばならないということなのだろう。ならば、原発を持っていることが最大のリスクにしかならず、不確かな外部電源や最終処分が決定していない中で、再稼働していく道理はない。3.11から日本政府は何とか原発を温存、再稼働することに躍起となってきたことが大きな過ちであり、少なくとも、同等の安全電力を供給するシステムを全力で開発してこなかったツケが今回のブラックアウトとして、表面化したのだろう。小泉純一郎ではないが、総理大臣が決断すればできることなのだ。7年余を無駄に過ごしてきたとしか言いようがない。電力の公営化も含め、国の責任を明確化する必要もあるだろう。

緑の中の赤は鮮烈だ

白系の彼岸花も種類が増えているようだ

花びらやシベが奔放で好きな造形だ

まだ、つぼみの花が愛らしくも見える

まるで花火が打ちあがった最初の瞬間のようで、このあと見事に大輪を咲かせる

赤白共演

白系の花たちの群れも儚そうでいい

やや紅葉し始めているカエデがあった

近くにいた金属のスズメたち

ツマグロヒョウモン(オス)がいた(谷戸山公園)

おなじくメスも見つけた(谷戸山公園)

暑さ止み カメラ手に取る 彼岸花