2019年04月30日

平成最後の日

 ついに本当の平成最後の日となってしまった。「退位礼正殿の儀」を生放送で見ていた。天皇陛下としての最後の言葉は、凝縮され、短いものであったが十分に心に伝わるものであり、「象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します」との表現がこれまでのすべてを物語っているようであった。天皇制の在り方など、さまざまな議論を進める必要性もあり、新たな一歩が明日の令和から始まる。
 私個人は、まったくもって写真からは遠ざかり、複数の要因で撮影には出かけられないでいる。そのひとつは以前にも触れたが義兄のことである。今月半ばにようやく入院治療することになった。重度の糖尿病で白内障と網膜症を発症していると診断され、インスリン注射や投薬治療が続いており、経過は良好で連休明けの都合に合わせ退院する見込みとなった。借家の一人住まいの留守宅を「特殊清掃業」の如く、妻と二人で片付けと掃除をし、介護認定など含め、受け入れ態勢を整えている。遠くないうちに、高齢者住宅の類に入居を目指すが、まだ、どうなるかわからない。まずは、家の整理とプチリニューアルである。さまざまな不要なものを整理していく中で、取り合えずは保存しておこうというものがいくつかあった。
 そのひとつが浮世絵であった。義母が娘時代に親戚の神田神保町の古本屋からもらったものらしい。新吉原の花魁を描いたおそらく幕末に近い時代のものと思われる。顔に虫喰いがあり、高価なものではなさそうだが、ちょっとしたお宝ではある。作者の名前はないが、画風から国貞などの歌川派と思われる。「京町一丁目」は吉原の遊郭の町名のひとつで「久喜万字(屋)」は店の名前だ。歌舞伎にも出てくる大店のようだ。また、花魁の名前と思われる「艶〇」は「艶粧(たおやぎ)」という有名な花魁かもしれない。我が家で厳重に保管することとした。
 まだまだ撮影に出かける余裕ができるのは先になるかもしれないが、ときどきはこうしてカメラを触っている、という報告も兼ねてホームページは更新していきたい。(EOS 5D3)

花魁の錦絵

平成が 終わるときにも 掃除をし