2019年12月18日

見納めの紅葉

 本来なら浅草の「納めの観音・羽子板市」に行きたかったのだが、そうもいかないので、地元の紅葉を見納めることとした。午後のいっときの時間しかなかったが、終わりゆく紅葉の儚さと最後の華やかさを垣間見ることができたようだ。自然の造形や色彩、光というのは、何とも複雑で美しい表現を見せてくれることに圧倒されるときがある。所詮、人間が造り出したものは、自然の美を超えることはできないつたないものだと、つくづく思う。
 地球が温暖化してゆき、これまでの自然の造形美も徐々に壊されていくのかもしれない。その責任の一端を自分自身が負っていると考えれば、自然をカメラに納めることにも負い目を感じなくもない。日本は、東日本大震災を経験したときのエネルギー消費を減らすことへの誓いを忘れてしまった。国の責任ある立場の政治家の言葉が、16歳の少女の真正面の言葉に圧倒され、薄っぺらで中味のなさを露呈させた。少しでも原点に返る具体的な行動を私たち自身が考えなければならないときのようだ。。(SONY a7R3)

水路に次々と落葉した紅葉が流れ着く

西日を浴びたモミジは葉を次々と落としていく

水に受けた葉は、色鮮やかになり、形をもとのままに留める

そこかしこに、自然が織りなす錦の織物が浮かんでいるようだ

まもなく散るであろうこの葉も美しい

根もとに落ちた葉が彩りを与えていた

もっと上流からも流れてくる

ヒドリガモたちが紅葉が映えた池でくつろいでいる

紅葉の季節のいっときの時間のカモたちとの共演によるひと幕だ

この黄金の揺らめきに再び会えた

このような池の様子になっている

これで今シーズンの紅葉ともお別れだろう

赤々と 散り行く木の葉 目にとどむ