2020年03月31日

たけのこご飯

 世の中が暗くなりつつある。本当のようなデマ、デマのような本当のことがあちこちに溢れ、人々は翻弄され、心もからだも傷つけあっている。季節は桜が盛りの春爛漫のときなのに、こんな沈鬱な春は東日本大震災以上なのかもしれない。
 日本全国、いや、全世界が見えないものに怯え、戦い、そして、それを悪用する人間に傷つけられている。希望の光を見い出し、導かねばならない真のリーダーが不在の日本では、心に響かない空しい言葉を行政のトップから聞くのみだ。この新型コロナウイルスが終息したとき、世界のトップたちを評価することになるのだろうが、日本には落第点しか与えられないのは間違いない。全世界的にリーダーのいない状態では、ただ単に弱肉強食のみの生存競争となり、最後に笑う者が誰か見えてきそうだ。
 人類の英知を集め、今、世界がまとまり、この難局を克服し、共存していくことを全世界に訴え、実現することができる真のリーダーを夢見るように待つしかない。英雄はいらない、人類にとって正しい道を歩もうとするリーダーが複数いればいいのだ。これさえ、空しい夢なのか。
 季節は確実に巡っており、桜と同様4月を前にして、早々にタケノコが実家から届いた。いつも義姉から茹でたものをたくさんもらう。昨日は煮物にしたから、今日はタケノコをふんだんに使った「たけのこご飯」だった。妻の実家には、これも旬となった山椒の葉っぱが青々としており、摘んできた。お吸い物にもタケノコを使い、筍三昧だ。
 NHKで「やまと尼寺精進日記」という番組を放送していたが、妻も私も大好きであった。奈良の山奥の尼寺の住職ら3人と地元の人たちとの交流を旬の野菜や山菜などの食材を使った料理などを通して紹介する番組だった。多くを欲せず、与えられるものだけを受け止め、自然とともに地域の人々とつましく、そして、笑い声が絶えない心豊かに日々を過ごす姿がいい。日本人としての原風景のような、すんなり受け入れられる世界がそこにはあった。あの人たちのようには、私たちはもう過ごせないのかもしれないが、せめて食事だけは、たまに旬のもをいただくことにしたい。(SONY a7R3)

季節のものをいただくのは、何と贅沢なことだろう

春たけて やまと尼寺 夢見てる