2020年04月29日

みどりの日

 昭和時代は、天皇誕生日であり、崩御後は「みどりの日」となり、今は「昭和の日」となっている今日の国民の祝日だ。例年ならゴールデンウイークの始まりだが、新型コロナウイルスが蔓延する緊急事態宣言下では、「自粛!自粛!」の嵐である。365日が祝日みたいな私には、これまでGWは、邪魔な存在で人出のために撮影に行けない1週間となっていた。
 しかし、今年は様相が一変し、どこの観光地にも人出はない。ウイルス封じ込めのため、国民がみな要請に応じようとしているのが、何とも健気である。折角のGWを多くのサラリーマンたちは恨めしく思っていることであろう。今は耐えるしかないのだが、あまりに押さえつけられると反発も出てくるものだろう。今回はやむを得ないと納得させるが、本来は間違っている、と肝に銘じておきたい。
 戦時下の「欲しがりません、勝つまでは!」みたいな風潮は、二度と生み出してはいけない。そのことを頭に入れながら、今の「緊急事態宣言」を苦々しく受け入れるというスタンスが私の場合だ。必ず、政府なり、権力者が暴走するのが常であり、今を生きる国民はそれを監視する必要がある。中国のように完全に個人の自由を奪った形でウイルス封じ込めを成功させたとしても、褒められたものではない。中国の若者たちは真の自由を知らないため、政府の今回の措置を高く評価しているが、元々生まれたときから、限られた自由しか与えられていないため、その恐怖を理解し得ない。今の日本の若者は、逆に現在の自由があまりにも大きすぎて、その価値を実感として受け止めていない。奪われて初めて感じるようでは手遅れになる。常に、感度を澄まし、今の状況がどっちへ向かっているのか、見極める必要がある。
 今回のコロナによって、世界は混沌とし、あらゆる矛盾や不条理があぶりだされ、ガラガラポンと大変革を世界や日本は遂げていくことができるのか、人類に与えられた大きな課題を目の前に突きつけられている。リモートワークやらオンライン学習、入学月など働き方、教育方法など変えるのはいいが、そこに確固たる遠い将来を見据えた変革の必要性の根本的理念を持たねば、付け焼刃の浅はかなものに終わり、そんなにうまくいかないからやめようか、ということになるだろう。
 今の日本は、その程度のレベルと思われる。太い幹がないまま、枝葉が生い茂っているような、不安定さを常に感じる。今回の新型コロナウイルスが、日本を真の意味で蘇らせることができるか、滅亡に向かうのか、明治維新以来の岐路に立っている、と思う。
 午後のひとときは、いつもの散歩である。人混みのしない、方面は結局、いつもの近くの公園である。しかし、そこにも数家族が群れていれば、遠巻きにして近寄らない。外出する際のデイパックには、以前から非常用の用品が入っており、今はマスクはもちろんのこと、アルコールジェル、アルコールティッシュも入っている。
 先週は自分の持病で通院する大学病院で、院内のコンビニで昼食を買って、座って食べる椅子をすべてティッシュで除菌し、手袋もはめていたが、外して、手と食品の包装もすべて除菌し、すばやく食べた。周囲からは異常とも思われる行動をしている。しかし、自分のため、家族のためだと確信してやっている。散歩途中も人が立ち止まっているところは、迂回して通ることにしている。気がおかしくなりそうだが、外出は常に緊張感をもって対処することにしている。早く、こんな日々が終わることを待っているのだ。だから、今は我慢の連続でいたい。(PowerShot G7X2)

宇都宮記念公園内
ケヤキだろうか、根元に興味をいだ

輝く若葉が地面近くにもある

大木の股

まだシャガが咲いていたのが、うれしい

フキの葉がやさしい

こんな木のコブを見つけた

カエデの若葉が清々しい

青葉、若葉の季節なのだが

ツツジもまだまだ健在だ

帰り際、こいのぼりを飾っている個人宅があった

緑なす 木々ゆらぎ 我立ち止まる