|
もうすでに3月になってしまった。歳月が流れるのはやはり早いものだ。毎年、妻は2月の最終日にはひな人形を取り出し、飾りつけ、供え物を用意する。今年は一瞬ためらいもあったが、すぐに気を取り直し、毎年飾ることが大切だと、いつもどおりにした。
先月下旬に妻の母親が永遠の旅立ちをしたのだった。安らかにほんとうに眠るように往った。神田生まれの江戸っ子で気は強いが明るく、面倒見がよく、みんなに好かれる性格でグループホームの職員さんたちにも、いつも大きな声を掛け、「お姉さん、お兄さん、元気!?」「笑顔が一番!」「ありがと!」という言葉を忘れることはなかった。その日は、非番の職員さんも駆けつけてくれ、グループホームの義母の部屋は実質的な告別式の場となった。
私たちの両親はみな戦前、戦中、戦後、そして高度経済成長という激動の時代を生き抜いた。生と死が常に隣り合わせにあった戦争中も生き延び、戦後、私たち子どもを産み育て、貧しい中でも必死に明るくたくましく生きたのだった。その両親たちはみな往ってしまった。
義母の死も、悲しさ、淋しさを抱くのは当然のことだが、それでも自分の意思を貫き、一切の管も注射もなく、最期を穏やかに迎えたことは、完璧と言っていいほど見事な大往生であったとたたえたい。敢えて言うなら、粋で爽やかな98年の生涯であった。合掌。(SONY
a7R3) |
|