2021年04月21日

汗ばむ春

 夏日、とまでは気温が上昇しなかったこちら神奈川の県央地区でも、午後は汗ばむほどのかなりの暑さを感じた。朝夕の寒暖差があるため、冬の掛布団をしまうことができない。年齢を重ねるに従い、季節の変わり目の気温差には体調が追いつかなくなっている。ほんと、年は取りたくないものだ。
 当たり前だが、若い頃は何でもなかった動作が徐々にできないことが増えていく。悲しいことだが受け入れていくしかない。私は持病の慢性関節リウマチがあるため、一般的よりもいろいろな動作が30歳代からしづらくなっており、ある意味慣れてはいるが、そのうえ年齢を重ねるとかなり厳しい面もある。とにかく、長くは歩けない。左膝が痛み、両足首も痛み、歩行がつらくなり、ベンチなどを探して休憩することが必要だ。
 それでも寒いときよりも暑いくらいのときの方が調子は良い。季節の変わり目は関節以外の体全体の調子が狂うので、すっかり暑くなってしまえば、暑さ対策を充分にすれば対応しやすい。自分の体をだましだまし使って、残りの寿命を全うするしかない。
 午後は、いつものご近所の公園までの散歩であった。カメラとハンディパックのスポーツ飲料をデイパックに入れて出かけるのが常だ。5分も歩けばかなり暑くなってくる。まだ長袖だったので、腕をまくる。長いこと日差しにさらしてない腕に陽があたると何だか少しヒリヒリする。紫外線が強くなっているのだろう。
 3日前にはまだ咲いていた八重桜はほぼ散ってしまい、ツツジもかなり弱ってきている。季節の移ろいは、人間世界で何があろうとも寒暖に応じて1年のサイクルを順調にこなしていく。自然の営みが不変であるかどうかはわからないが、少なくとも人間の営みよりも確かであろう。
 自然とともに生きていくのが本来の人間であるはずが、自然をコントロールしようとした人間が今自然から仕打ちを受けているのかもしれない。科学とかコンピュータとかの力によって生み出された膨大なエネルギーによって、自然のメカニズムが破壊されつつある。
 しかし、地球本来の大きな変動の中では、人間の科学などの力でもコントロールすることは不可能だ。地球の寿命からすれば、人類の出現と滅亡など一瞬のできごとであろう。ならば人類はもっと謙虚に存在して、多くを望むことなく、少しでも長く地球に踏みとどまることができる賢い選択を続けるしかない。
 現在のコロナ禍は地球からの痛烈なメッセージのひとつだと受け止め、今後の人類の適切な選択肢を見極め、その活動の仕方を深く考えていくことが必要だろう。(SONY a7R3)

木陰にシャガが華やかに咲いている


群生で咲いていることが多いが、
ひっそりと咲いているのもいい

なぜか、松の木肌が好きで撮ってしまう

カエデの青葉も濃くなっている

名前は知らないが、青々とした葉が印象的だ

ツツジの花もそろそろ終わりそうだ

移ろいて からだ心に 鞭打ちつ
春盛り 永久(とわ)の青春 今何処