2021年05月08日

非日常の日常

 ゴールデンウイークが無事過ぎることを祈ってじっとしていた。いや、去年の1月下旬からずっと外出、外食などを極力抑え、遠出しての撮影にも行かず、友人にも会っていない。非日常の生活を1年半近く過ごしている。以前なら一時的な非日常的な生活が今や日常化してしまっているのだ。
 日本の場合、なんと言っても政府の新型コロナウイルスに対する考えが甘かったとしか言いようがない。「風邪と同じようなのもだ」「梅雨になれば終わる」「PCR検査でウイルスはなくせない」「経済を回さなければいけない」「習近平を国賓で迎える」「東京オリンピックはやる」などと去年の発言は一体誰が責任を取ったというのだろう。
 PCR検査や抗体検査は今もまともに有効活用できていない。まだ、東京五輪もやるつもりでいるようだが、これ以上言い続けることほど無責任なことはない。選手たちが可哀そうだ。5月11日までだった緊急事態宣言を5月31日まで愛知、福岡を加えた6都府県として、延長するという。「マンボウ」も同様だ。「人流は減ったが感染者は増えた。引き続き休業要請するが、デパートやイベントは制限を緩和する」というのが主旨だろうが、もうデタラメの行き当たりばったりの極致となった。
 本日の感染者数は各地で最高値を出し、日本全体で7000人を超え今年1月のピークに近づき、過去最高になるのも近い。うがった見方をすれば、「個人の私権を奪わずにウイルス対策をするとこんなものだから、憲法も改正し、緊急事態条項を盛り込みガチガチにやれば早く終息し、経済を回せますよ」というのが本音にありそうだ。
 昨日の菅首相の記者会見で産経新聞の記者から緊急事態条項の質問について「コロナ禍で、国民の関心が高まっている」「落ち着いたら、そうしたことを検証して対策を考えたい」と述べた。やる気満々ということだ。つまり、現在きちんとした対策ができないのは、今の憲法が悪いのだ、と言っているようなものだ。
 もう何も期待することができない。遅れに遅れているワクチンを何年かかけて国民に接種し、いつの間にか効果がなくなったから、外出自粛し、テレワークしましょう、とか毎年繰り返し言うだけだろう。このゴールデンウイーク中の首都圏の観光地の人の出がすごいことになっていた。
 いくら自粛疲れといっても、今後の自分たちの本当の自由を奪われてしまう状況を自らが生み出していることに国民は気づかねばならない。日本人がここまで愚かな国民性になってしまったことに愕然としているのは私だけだろうか。非日常の日常化は不本意ではあるが、こんなコロナ禍ぐらいはさらっと耐えてみるのがいい。(SONY a7R3)

芍薬の切り花があったので撮ってみた

できること 自覚してみる コロナ禍で