2021年10月28日

成仏

 新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言は25日(月)から全面的に解除されているが、我が家の生活は何ひとつ宣言下のときと変わってはいない。電車に乗って撮影に出かけたり、好きなラーメン店に行くこともしない。確固たるワクチン効果と治療法が確立するまでは最低限の行動範囲で生活するばかりだ。経済を回すのは、積極的に動ける人から動き、回せばいい。
 写真もろくに撮っていないので、家の中でブツ撮りでもすることにした。以前は妻の実家にあった小さな石の仏像を撮ってみた。高さ15センチメートルほどだが、きれいなお顔をしていると思う。仏様といえば、妻の母も2月に亡くなってすっかり成仏して極楽浄土を謳歌しているだろう。妻は母親を心を込めて見送り、充分に喪に服したとして、喪中挨拶状など送らず、ふつうに来年の年賀状を作成する予定だ。私も同意した。いろいろな慣習、風習が形骸化し、何を重んじて生きているのかを振り返ってみれば、自分自身が納得したやり方で実行すればいいのだ。喪中挨拶もすでにどうでもいいだろう。年賀状も終わりにする人が増えている。それぞれの考えでいいのだ。私は年賀状については、まだ親しい友人や知人にひと言直筆を添えて送りたいと思っている。通常の手紙を書くことがまったくなくなってしまった現在、年に一度くらい年賀状で文字を書いて送りたいものだ。(SONY a7R3)

 さて、コロナや政治についての話題以外では、おととい26日に結婚された秋篠宮家の眞子様、「小室眞子さん」夫婦のことで騒がしい。夫の小室圭さんの母親のことで大小マスコミが騒ぎ立て、眞子さんは心に闇をつくってしまったようだ。現在の皇室典範では、皇族に生まれた女性が天皇になることはない。だから結婚が決まれば、皇室から離れることになる。眞子内親王はそうなっただけのことである。内親王がどういう親を持つ男性と結婚しようが、ふたりが決めたことであれば、周囲や世間は放っておけばいい。納采の儀をはじめとするさまざまな結婚に関する儀式が省かれた。これも新しい形のひとつとして皇室が少しでも変わる一歩であったと思う。あとは国民が心の中でお祝いをし、そして、ふたりのことを早く忘れてあげるのが大きなプレゼントになるだろう。
 日本の天皇、皇族が国民統合の象徴として特別の存在として親しみを持って国民に受け入れられているのは敗戦後の新憲法下で制度化されて以来、幸福なことであったと思う。昭和天皇、上皇は「象徴」としての努力を怠らなかった。そして、今上天皇もコロナ禍の状況で努力を続けている。同じ人間でありながら、皇室に生まれたばかりに、天皇、皇族は鉄格子のない不自由な監獄の中で生活を送っているのと同じだと気の毒に思う。天皇制廃止とまではいかなくとも、もっと自由で簡略化された皇室の在り方を議論し、実現されていくのが急務だ。もう、皇室に生まれたことのみによって不幸がもたらされてはならない。

   種類はわからないが、石で彫られた仏像
   如来なのか、菩薩なのかよくわからない
(画像にふれると文字が消え、クリックすると拡大し、再度クリックすると元に戻ります)

顔だけはきれいに仕上げてある
(画像をクリックすると拡大し、再度クリックすると閉じます。以下同じ)

比較のために、マリオのフィギュアを置いてみた

比較のために、玉子を置いてみた(笑)

ちなみにこれはキューピーの貯金箱だ

柿も残っていたので、ついでに撮ってみた

どの世でも 人も仏も 楽しかれ