2022年01月29日

梅多輪なれど

 午後、買い物がてらの散歩で少し離れた児童公園に寄ってみた。すると梅が咲いていたのだ。梅の古木でかなりの数の花を咲かせていた。他ではまだ咲いている梅の木を見かけないので、早咲きの種類なのかもしれない。しかし、花が少ないこの時期にパッと咲いた梅の花を眺めているだけで、心温まってくる。それでも、空気はまだ冷たいままだ。梅の花はたくさん咲いているが、季節は「梅一輪ほどの」ままなのだった。(PowerShot G7X2)

 コロナ第6波はとどまるところを知らず、連日最多感染確認者数を記録しており、今日は昨日に続く全国で8万人超えの8万4934人となってしまった。死亡者数も47人と多くなってきている。日本では抗原検査キットが足らず、医療現場でのコロナかどうかの即時判断が必要な経口治療薬の投与にも支障をきたしている。日本は検査もまともにできない後進国なのか、と情けない。ワクチンも治療薬も未だ国産のものができず、世界をリードする先進国とは言えないだろう。いくら重症化は低いとはいえ、医療現場は逼迫しているのが現実だ。日本政府、特に厚生労働省の見通しの甘さが2年前からずっと続いており、何も改善されてはいない。
 保育園の現場でも感染者と濃厚接触者が増え、休園する保育園が激増し、子どもを預けている親たちが仕事に行けず、エッセンシャルワーカーとされる人々が欠勤している状況だ。感染はしていなくても社会が動かない最悪の状況になりつつある。親たち、特に母親である女性たちへの待機児童解消など就労支援策を本気で取り組んでこなかった固陋の政治家たちの責任が大きい。少子化を招いたのは彼らの責任だ。「こども庁」をわざわざ「こども家庭庁」に変えるなど時代錯誤な感覚が、今日のコロナの大災厄を生んだとも言える。
 話がややそれたが、日本の衰退は今回の長引くコロナの状況をどう未来に生かしていくことができるか、にかかっている。未知の感染症対策などに対する危機管理の在り方とともに、日本が世界をリードできる存在感ある国家として立ち直ることができるか、没落していくかの分岐点に立っているのだと指導者たちは自覚すべきだ。コロナが今後1年以内に何となく終息に向かい、ほとぼりが冷めたらすべてを忘れてしまうようでは、日本が本当に没落するのは確実だ。


梅の一輪を見つけたのではなく・・・


もうこんなに咲いているのだった


市営団地の中の公園に梅の木はあった

早咲きの 梅の花の香 午後寒し