2022年06月29日

電力逼迫の夕景

 この6月下旬は、異常な早さの梅雨明けと猛暑で関東周辺を襲っている。ウクライナ情勢やコロナ禍看過経済活動復活に伴うエネルギー需要の上昇に伴い、様々な物価が高騰し、電気代も次々と値上げせざるを得ないようだ。そして、日本では火力発電の整備がこの猛暑に間に合わなかったため、「電力需給逼迫注意報」が出され、我が家も一昨日あたりから節電に努めようとしている。
 高齢者の身となった者としてはこの猛暑に冷房を切ることはできない。だから照明とともにテレビは極力つけないことにした。一番になくてもどうにかなるシロモノだからだ。テレビ局では、「熱中症に気をつけてエアコン以外の電気器具の使用を制限するなど工夫して・・・」などと言うが、「今すぐテレビを消しましょう」とは言わない。コロナと猛暑で自宅にいることの多い高齢者にとって、テレビというのは唯一の「友だち」「情報源」なのかもしれない。そして、テレビ局の顧客になるわけだ。その顧客に自己否定となる「テレビを消せ」とは言えないだろう。
 我が家でもいくつか挑戦してみた。非常用の電池式ラジオの放送を聞くことにしたが、マンションで電波の受信環境が悪く断念。スマホのラジオ放送受診もいいが、その間他の用途に使えない。Wi-Fi接続のタブレット端末でラジオを聴くのがちょうどよかった。また同様にタブレットでケーブルテレビとリンクしてテレビも録画番組も見られる。タブレットぐらいまでの端末なら電力消費を少しは抑えられるだろう。
 いずれにしても、電気がないと何もできない世の中になってしまった。私の子ども時代には、部屋の電球の灯りとラジオがあるだけであった。他に電化製品はなかった。過去の暮らしと比較しても意味はないかもしれないが、電気がなければないで何とか工夫して生きていくことはできるだろう。豊富な電気があれば便利で快適な暮らしを大いに享受できるかもしれない。しかし、そこには危うい高度文明社会の落とし穴があるだけだ。経済発展と技術革新一辺倒の世界はやはり弱い。何もないところから始める素朴で心豊かな生活のあり方をここで改めて考えてみるのもいいかもしれない。あの福島原発事故のときを思い出して・・・(SONY a7R3)


今日の夕焼けはなかなかよかった


焼けた夕空は何度見ても美しい

テレビ消し クーラーつけて 生き延びる
節電を 勧めるテレビ 消した午後