2022年07月05日

カミキリムシ

 久々に珍しい生き物を見つけた。カミキリムシだ。朝方、まだ日が照っていたころ、洗濯物を干すためベランダに出た妻が、「大きな変な虫がいる!」と狼狽えていた。妻は昆虫にはまったく興味がなく、カミキリムシも見たことがないという。カミキリムシは今では街路樹などの幹を食い荒らし、害虫扱いにされているらしい。
 最初ヤツは排水管の太いパイプにしがみついていた。慌ててカメラにマクロレンズをつけて持ってきた。すると同じベランダの別の場所にいた。どうやら四方を壁に囲まれた状態から抜け出せないようだ。壁をよじ登っては滑り落ち、翅を広げて飛ぼうとするも壁に当たって落ちてしまう。翅を広げた瞬間を撮りたかったが間に合わなかった。また、このカミキリムシがあまりに必死に何度も壁にぶち当たるのが気の毒になって、グルグル動かしている触角をつまんで、外に放り投げてあげた。一瞬、戻ってきそうになったが、やがてどこかへ飛んで行ってしまった。
 子どものころ、特に男の子は動き回る虫に関心がいく。アリの行列やその忙しく食べ物を運んでいる様子をじっとしゃがんで見ていた。やがて、森や林にカブトムシやクワガタを捕りに行くようになる。また、セミを捕るため細長い竹の棒の先に針金で輪にしたものをつけ、クモの巣をたくさん巻き取ってベトベトする網状にした道具をガキ大将に教わり作った。カナブンやカブトムシには木綿糸をしばりつけ凧のように飛ばすこともやっていた。虫を殺すこともときにはあった。昆虫の観察などという生易しい世界ではなく、そんな残酷なふるまいもふつうだった。田舎の土地で過ごした子ども時代は、自然と一体になって暮らし、遊び、学ぶことが当たり前だった。近所の子どもたちと野山を駆けずり回っている日常だった。
 今思えばすべてが古き良き時代であった。現在の子どもたちにそれを強要はできないが、少なくともいい思い出のひとつになるだろう。子ども時代の夏という季節は、そんな忘れ得ない思い出を残すためにあるのかもしれない。(SONY a7R3)


午前7時ごろ、まだ、朝日によるシルエットができていた


彼(彼女)?は、もがいても、もがいても抜け出せない

文月朝 カミキリムシに 日が当たり
虫たちも 生きる権利を 認めたし