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近所の個人商店がまた一軒店仕舞いすることになった。1階が店舗、2階がアパートという古ぼけた建物の一角で腰の曲がったおじさんひとりで八百屋を営んでいた店だ。昨日あたりから店の中の片づけをやっている。いっしょに手伝ってくれた人に「口はよく動くんだが、体が動かなくてな・・・」と笑って話していた。散歩でよくこの店の前を通りかかるが、同じくらいのお年寄りが店主といっしょに店先に出した丸椅子に座って世間話をするのが日常の光景として微笑ましく見えた。
ほんとはこうした昔ながらの個人商店を取材してみたかったが、なかなか気力が湧かなかった。絶滅危惧種の古き街の個人商店は利用することはあまりないが、愛おしさは感じる。午後のいっとき、散歩がてらの範囲でそんな古い個人商店をスナップのみだが、写真に収めてみた。
周辺には中規模のスーパーやコンビニができ、飲食店もチェーン店がある。少し足を延ばせば、大規模なショッピングモールがある。地域の個人商店がかなうわけがない。後を継ぐ者もいないから、年老いた店主がひとり店を守り限界がくれば店仕舞いするしかない。悲しいがそれが現実だ。
古くからの住宅街は住民の高齢化が進み、そこにできた商店の店主も高齢化し、先細りとなってしまった。体が動かなくなったら、やめるしかないのだ。しかし、これからはいやでも超高齢化社会が現実となる。まさに今の私などの世代が地域の主流となってしまうのだ。そのとき、身近な個人商店のような存在が必要になってくる。歩いてすぐに行くことができる商店が各地域に必要なのだ。個人商店が無理なら、行政が関与してもいいから、自治会、町会単位くらいの小規模スーパーがあるといい。食品、雑貨小物、衣類など高齢者向けの簡単にひと回りできるスーパーが絶対に必要だ。巨大なショッピングモールは行くことも歩き回ることも不便で困難だ。また、ネットなど通販で買い物ができる人はいいが、そうではない買い物難民の高齢者が大勢いることを行政は知るべきだ。そして、そこに買い物をしなくても気軽に立ち寄れる、コミュニケーションの場があれば最高だろう。多分、それは若い人たちにもいずれ必要なものだと確信するときが来るはずだ。(PowerShot
G7X2) |
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店舗の名前もわからず仕舞いで店仕舞いする
さっきまで店先で店主と世間話していたおじさんが帰っていく
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近くの雑貨店
結構なんでも置いてあり、何回か買ったことがある
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今日は休みのようだが、ラーメン店
いわゆる街中華で何でも安い
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駅前の一等地に古い建物の花屋がある
ここも高齢のおじさんが頑張っている
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衣料品、雑貨、小物を扱うお店
ぜひ入りたいがなかなか男一人では
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ここも街中華だ
入ったことはないが、続いている店だ
街の店 今日またひとつ 仕舞いけり
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