2024年02月10日

義父のカメラ

 18年前、妻の父親が亡くなったとき、遺品をいろいろ整理していた中にカメラがあった。それを私がいただき保管することにした。カメラが2台とストロボ1台が小さなバッグに収められていた。ふと思い出し、そのカメラを写真に撮っておこうと思った。
 捨てることができないし、売り払うにも面倒なうえ二束三文だろう。自分が買ったものではないので、処分するには躊躇する。写真に撮って、こうして眺めることができればいい。現物はまた部屋の片隅にしまわれていくことになるだろう。自分の持ち物でももう使わないものがいろいろあり、思い出の品となっているが愛着があり、なかなか捨てられないものだ。それらを何とか処分するために今のうちに写真に撮って、デジタル保存しておきたいと思っている。
 ブツ撮りにもかなり手間ひまかかるので、おいおい作業していくしかない。カメラで撮影するよりも、スキャナーでスキャンして保存したものがよいプリント写真、ネガ・ポジ写真は気が遠くなりそうだ。いろいろなものをスキャン保存しているが、紙媒体はなかなか減らないものだ。すべては自分が死ねばゴミにしかならないものを、デジタル化しても大した意味はないが、少しでも自分が存在していた証拠を残したい本能みたいなものがある。子どものいない私には、あとを託す者がいないせいか、そして、少しばかりの自尊心のようなものだろうか、自己満足でもいいから、自分の足跡をそっと残しておきたいと思っている。(SONY a7R3)


1956年製のコニカ3というカメラ
ずっしりとした金属の重みが今どきのカメラより風格がある


コニカのヘキサノンレンズだ


今見てもかっこいいカメラだ


多少の汚れはあるが、シャッターも切れるので撮影できるはずだ


ストロボがあったので装着してみた
これで妻が子どものころの写真を義父は撮ったのだろう


1975年ごろのコニカC35
かなり軽量になり、カメラもお手軽になったころだ


これは、オマケの画像
私が1990年ごろ購入したSONY Handycam
さして使わずにお蔵入りになっていたもの
引っぱりだすとゴム部分がボロボロになっていた

思い出を どんな形で 残すべき?
アナログも デジタルさえも ゴミとなり